〜 2021年10月の出来事 〜

 10月31日:曇りのち晴れ

寝ている間に雨は通りすぎました。
でも雲が覆っていましたがゆっくりと雲が退散して青空が広がり周りがすっかり明るくなって来ました。
しばらく晴れマークの日が続きそうです。
気温も20度辺りで推移する様で爽やかな秋晴れが満喫できそうです。












 10月30日:晴れ

朝から雲ひとつ見つからない〜という青天が続いています。

この時間(午前8時前後)が朝陽が差して紅葉が映えます。
常緑種が多いので太陽が上に来ると緑に負けてしまうのです。そして午後から夕方にかけては太陽光を背に受けるので少ない紅葉は旗色が悪い。

日の出の位置が南にずれました。これから3ヶ月余は二階の窓からでなく、屋上からの日の出映像をお届けするようになります。
















 10月28日:晴れ

朝から雲ひとつ見つからない〜という青天が続いています。
海面も次第に静まって来てだんだんと光ってきました。
「ダルマ夕日」撮影のチャンスだけど、通矢海岸からは姫島上に落日するので、海上からでないとそのシーンが撮れない。 ><;)

       日課の散歩〜 すごい! 背筋が伸びて来た。私も見習わなければ〜!!。










↓ 通り矢海岸からの落日。正面は小祝島(こいよう) : 昨日(27日PM:5:07)




 10月25日:曇り時々雨

曇っています。時々雲の固まりが流れます。
上空の大気が不安定のようでパラパラ〜と大粒が降ってはビックリさせられます。
最近長雨が降らなくって畑が相当乾燥してるようです。掛け水くらいでは間に合わない〜とボヤいていました。
周辺が大雨騒動するので、祝島も降ってるような感覚でいたのですが、雨の降り方がやはり異常なのでしょうか。昨日雑木林の中を通ってる道路の整備だったのですが、下草が無いなぁと感じたのでしたが、そう言えば雑草が生えてなかったですね。

















 10月24日:晴れ

起き出して玄関を開けて見ると’ん〜!’ちょっと寒いなぁと首が縮みました。
今日は年間行事の道こしらえ作業日、まぁ天気は上々ですので急いで仕度してと早い朝食に係りました。北野地区から三浦湾に降りる山道が受け持ち区域なので早めの出発です。
開始は7時、着いた頃は薄暗かったけど寒くも無いしまぁまぁの作業日和で、少人数でしたがはかどりました。集落挙げての作業ですが高齢化の影響で近年は参加者も少なくなりました。





自治会年間恒例の道こしらえ


昨夕の落日(23日)























 10月23日:晴れ

暑さに慣れてたので昨今の冷え込みが身に凍みますね。
でもこれは序の口でしょうから、体を少し鍛えなければと思うのですが、ついつい・・・・。

肌寒い筈です。.北東の風に寒気が運ばれて来てましたが、今は(正午頃)少し凪いで来たようです。
けど雲が多いですね。日没前の夕焼けを撮りに行きたいのだけど雲が多すぎて〜。><;)
今日も駄目かな〜?>












 10月22日:晴れ

昨夜は冷え込んで毛布を重ねて寝ました。「汗をかくかも」と思っていたのですが、目覚めてみると丁度良くって、ポカポカ〜。起き出さないで久しぶりに温もりを楽しみました。
この二、三日、急に冷え込んで11月の気温だとか。上着を羽織ったら心地良くってそのままです〜。

何時も思うことですが、更新が途切れてしまって申し訳ないです。
で、室津にもパソコンを置いて〜と、ノートパソコンにwindows10を入れているのですが思うに任せず
デスクトップにwindows7で開設してみました。まだ十分に機能していないのですがその内に途切れないようにしたいと、猛特訓中ですが、ハテ〜?!。

室津出身の知人が上関海峡の情報も欲しいなぁとリクエストされているのですが、「お前は最近運動不足気味だ。パソコンばっかりしていたら駄目だぞ」と、昨夜別の友人からアドバイスされてしまって、その忠告も嬉しいことで〜、”ん〜!”ですが、更新を手早く出来るよう何か名案が無いかと・・・・。
どなたか指導、協力願えませんか〜。







オヤ、干し場所が変わっています。カラスか何かが来るのかな〜?。







 10月19日:曇りのち晴れ

今朝早く、長いこと薬を電話で依頼しては済ましていた広島の病院に出かけました。
長男が仕事で休めなくって、で、自分で運転してと思い立ったのですが市内の混雑を思えば無理してはいけないし、でもコロナは怖かったのでしたが、では電車でと”勇を決して”乗り込みました。岩国までは独り掛けで、まぁこんなものかと窓外の流れる景色にノンビリ〜。ところが広島市内が近づいてきたらだんだんと乗客が増えて満席に、アレッ密になったなぁと心細くなった所で広島着でヤレヤレ〜。しかし以前のように大声で話す人はなく、ほとんどがスマホとニラメッコ。

何とか?たどり着いた院内、待合室は満席だ。 ’ウ〜ん’電話で済ますべきだったかなと思ってたらなんと予約5分過ぎに呼名でホッとでした。さすが院内は整然とことが流れてました。

帰り、柳井市から平生町への尾国峠を越えると真っ赤な夕焼け空が現われて、思わず’すご〜い’と目を見張りながら海岸へ・・・。日没寸前の輝き〜に、驚きながら大急ぎで車を止めてカメラ手に飛び出しました。一瞬の展開で、パチリパチリッで夢中で、もう場所を選定する間もなくでした。
        刻pm5:30でした。 














 10月18日:曇りのち晴れ

明日は広大病院の診察予約が出来ましたので、今日室津に渡って置きます。
’いわい’第1便に乗ろうと思うと気に罹って睡眠不足になりがちなので、前の日に渡ります。











 10月17日:曇りのち晴れ

祝島に帰ってヤレヤレ〜です。
この間から気がかりだったトキワススキを撮影に行きました。
もう満開から散り始めていました。開き始めの頃は柔らかい穂先ですがもう日焼けしてまして、初々しさが見られなくなっていて残念でしたが白い豊かなボリュームは健在でした。



















 10月16日:曇り

お医者さんのハシゴは何だか疲れてヤレヤレです。
眼科と整形は患者さんが多くって、待つ時間が長くって、ボンヤリしているだけなのに疲れますね。
診察される先生は体だけでなくって頭も使うのだから、余り文句を言うとバチが当たります。どちらも子供さんの姿はなし。子供が生まれないのだから頭でっかちの社会は止むを得ませんが、世界中が人口の減少も目前ですから、「敵基地を先行爆撃する」となるとどういう現象が起きて不都合が発生するのか、国連の権威を早く高めないとコロナが居座ったら対応しきれない非常事態が起こりそうだけど、
サテ、名案は〜?!。












↑ 雲が厚くなりました。晴れた写真は心が晴れ晴れ〜。↓






 10月13日:曇り

今朝からお医者さんをハシゴします。









 10月12日:雨のち晴れ

クモの嫌いな方はゴメンなさい。



















 10月11日:雨のち晴れ

豊後水道を上って来た雨雲が祝島上空にかかったなあ〜と思いながら港内を見ていたら雨粒が海面で跳ねていました。レーダーの眼力?!も正確になって来ましたね。

ぼんやりと眺めてて、ふと〜アレツ豊予海峡なのに何故豊後水道〜と急に不安になって本棚の中学生地図を引っ張り出してお勉強しました。豊前は大分県北部で豊後が南部で、宇和海と対峙して豊後水道を形成してるからなんだと納得。この水道を通って入ってきた黒潮が南方のプランクトンを大量に含んでいて、瀬戸内海に入って豊かな海の幸を祝島に運んでくれていたんだ〜なんて・・・・。
祝島周辺は鯛の好漁場で「祝島の鯛の一本釣り」は高く評価されてたけど急に釣れなくなって、魚価も大きく落ち込み、オマケに網で一網打尽するゴチ網船が海底を壊してしまって魚影も激減して、手釣りの漁船が皆無になりそうな惨状です。港内漁船の姿が減りました。

対岸の牛島との間を底引き船が行ったり来たり〜、今日は見えません。






 10月09日:晴れ

今日も紺碧の秋晴れです。
NHKを見習った?のかも知れませんが、思い切り深呼吸をして見ました。
この新鮮な大気の中で生活できるという喜び、幸せを感じました。
皆さんもどうぞ〜!。











 10月08日:晴れ

今日はゴミ出しの日だと早起きして〜何とAM4:30〜第一便で帰島しました。
あれこれ袋に詰めて持って出たら、置き場にはゼロ、何も出していない。
アレッ〜と帰宅してカレンダーを見れば十月からは週一回となっていて、然るに今日からは金曜日でも収集なし〜で、”ん〜!”でした。

今朝、祝島港に朝陽を浴びながら入港しました。


’いわい’第2便  ↓











 10月06日:晴れ

今日も真夏日になるという。十月だというのに〜とぼやいてもそれは駄目。日の出の強烈な輝きは太陽の底力の象徴、自然の力には感服ですね。
「晴耕雨読」を実行されてはいかが〜〜。






















 10月04日:晴れ

はや、十月です。
駆け足で進みます。今日は亡妻の満中陰ということで近所の人や亡妻と昵懇の方たちが集ってくれました。深く感謝です。多用の生活から解放され、これからはノンビリ〜とと言う矢先に病気が進行して、皆さんの沢山の看病をいただき思いやりを受けながらの七十七年の歳月でしたが、さぞかし無念であったろうと推察されるのですが、愚痴一つこぼさず、アリガトウの言葉を残して他界へ旅立ちました。
「お父さん、このお芋ブチ甘い〜」と、眼を細めた顔が想い浮かぶと、芋をレンジで焼いては通った日々が回想され、もっと何かしてやれなかったのかと・・・・。コロナで会えなかった悔しさが募ります。









祝島に嫁いで五十二年、
忘れ物をした子供を追いかけたり、いたずらっ子達を追い回したり、
おしゃべりしたりのこの道、23年間小中学校の事務職にも通勤した
かってのメインストリートですが、今は人通りもめったにありません。






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