since 2003/12/1



 
 2024年 神舞
今までの情報は荒神を押すと
リンクしてますので、どうぞ〜!
(2021/11/01) 情報を更新しましたらお知らせします。

あしあと 花の写真集 神舞の話
更新2021/11/01


2016年(平成28年)
更新2016/6/18
英文あり



アイコン
今月のフォト フォトギャラリー お話あれこれ
更新2012/03/24 更新2020/05/30


2022・06・26:撮影
2022・06・26:撮影
遺したい 祝島の
草花




二階の窓から

屋上苑の片隅で・・・・グラジオラス : 
肥料もやらなかったのに懸命に咲いてくれました。
右からザァ〜と、ちょっと風が来ます





サテ、ここは何処でしょうか?  (05月22日)



↓ こちらはブログ覗き窓です ↓
更新しました。ご覧下さい。(2022・03・12



6月26日:曇りのち晴れ
なかなか晴れ間が出現しませんでしたが、お昼過ぎる頃から青空が広がりました。

先日死亡保険のことが気に掛かってたら、資料贈りましょうとなり、資料が届いたでしょうと電話連絡が入り対応してたら昼を越えました。
加入してすぐ死ぬと儲けみたいだけど死んだら終わりだからと思うと余り乗り気にはならないし子供に迷惑を掛けないためには入っておくのも良しだし、皆さんはどうされているのかな〜?。











6月25日:晴れ
朝の天気予報、傘マークが消えたので安心して第二便に乗りましたら、鼻繰島を通過する時船長さんが「大雨だよ」と合羽に着替えるので「エー〜!なんでぇ」と言うと、「雷ゴロゴロだ〜」に
また「なんでぇ〜」と言いかけて、さすがにストップ。~~;)

びしょ濡れを覚悟で身支度してたら、前の席におられた方が、「ハイ、どうぞ、お使い下さい」と傘を〜。「アレッあなたは〜?」愚問をモグモグ・・・。ニッコリ笑われたので、ありがたく拝借。

お陰で濡れないで下船。歩いてたら、「おじちゃん、荷物持ちましょうか?」声が係り振り返ったらまた美女!!。ビックリして首傾げたら「わたし、○○子です」。近くの同級生の二女で、二、三歳の頃、泣かしてやろうといじめたのではないが、いくらからかっても決して泣かなかったあの子がニコニコしながら、私の荷物をサッと取り上げて「サァ行きましょう〜」。
「おじちゃん、ちゃんと当る天気予報見ましょうよ」とか言ってる間に自宅前に着いて、雨の当らない玄関前まで運んでくれました。その身のこなしの軽いこと、いじめないでよかったなぁとつくづく〜。(笑い)     (この話の続き)
濡れた傘をタオルで拭いて、エアコンのドライ(除湿)で乾かそうかと支度してたら、また違う方が来訪、「今日は美人に会う日だなぁ〜」と思ったら、「先ほどの船内での傘、私診療所にこれから出勤しますので、預かりましょう。雨がすごく降ってますから今出たら濡れますよ、そう思ったので寄りました。」とこれまた優しい思いやり。

実は大阪の妹の主人が脳梗塞で倒れそして急死。葬儀が23日に有って急遽大阪茨木市に。
沢山の甥姪や親族に囲まれ、自分が長老組の数名の中に入ってると言う現実に驚愕、ひょっとしたら次は自分が主役かも〜と思いつつ帰宅、冴えぬ頭でこの文をしたためています。
前文の部分で書かせてもらいましたが、大阪でもいろいろな部分で優しい心遣いをいただき、親切に触れながら時を過ごしました。思えば有り難い話です。





6月21日:晴れ
今日は”夏至”〜、生憎の雨雲に覆われて、大雨降りの状況です。
祝島は降った雨が溜まることなく海に流れ込むので、ここ数年豪雨禍で大変な他地区を尻目に涼しい顔でノンビリです。以前は田耕しの水は降った雨水を即使用してましたので、良い雨でした。雷さんはゴロゴロ鳴っても歓迎?されてました。

思い出すのは、長男が小一年生の時の「父の日」の日記。
お父さんはしごと(郵便局)に行きません。こううんき(耕運機)にのって山(田んぼ)に行きます。
で、心配された担任の先生「どうなさったのですか?」と家庭訪問、実情を確認されて大安心!。 ^0^  佳き?時代でした。

公民館祭りにフォトクラブは写真を展示します。二便で出かけて会場を作ったり、写真を展示したりします。雨は弱まりそうもありません。
山惣津は濃霧の中です。








              6月20日:晴れ
薄日の差す静かな一日が何事も無く過ぎ去りました。明日は大雨だと〜。それに能登半島沖合いでは地震が頻発した一日でした。震度6弱で津波なしでした。




         6月18日:晴れ
用事が一日置きに有ったので、それに身体がダラシくって結局帰島が今日18日(土曜日)になりました。

凪ぎの海を滑るような航行で、ウトウトしながらの心地良い一刻を楽しみました。^0^

六日振りだったので帰宅して近所を訪ねたら、「待っていたのよ〜」と走るように出てこられて、「冴子さんにお供えして・・・」とビワを戴きました。冷蔵庫に保管して待っててくれました。お礼もそこそこに帰宅、仏前にお供えしましたら、ビワが大好きだった遺影がニッコリ、ほんと嬉しそうに笑顔がこぼれました。私も胸が”キュン〜”と。ビワもうれしいのですが、帰宅を待っていて下さったことも・・・・。











6月12日:晴れ
AM.10:30着の’いわい’第2便で帰島しました。乗客は島の人四名でした。
明日は平日なので通院の方たちがおられるので多いと思いますが、サテ・・・・・。

荒れると船が揺れて大変?ですが、今日のように凪だと滑るように走りますので居眠りには好都合です。昼食を終えたら何だか急にダラシく(疲れた感じ)なって、しばらく横になっていましたが血圧、吸入酸素量、心臓の動き、熱も36.5℃で平熱で異常なしでしたが、この間から続く食欲なしから、なかなか抜け出し出来ません。 ><;)













6月10日:晴れ
明日は大雨との予報ですが、朝焼けがしませんでしたがハテ?・・・・。

帯状疱疹が足右側に出かけて、早めに服薬したりで何とか食い止めたようなのですが、今度は左足が踵かかとを踏みたてると時々「アレッ痛い〜」となるのでちょっと心配なのですが・・・。
発症しなければ良いのですが・・・・。7日(火曜日)のヒフ科の受診が用事が有って出来なかったので進行していなければラッキーなのですが、痛いと余計ビクビクしてしまいます。
14日まで上手く経過して〜と”神頼み”です。食いしん坊が食欲が無いという珍事なので〜。

これから、明日用事で二便で出かけるのですが、どんなもの食べたら良いのでしょうか?。












6月09日:晴れ
心地良い夏の日差し、窓から流れ込む潮風は涼風です。
祝島は瀬戸内海少雨気候の代表?かと思える程しつこい雨が降り続きません。「来る日も来る日も雨」という表現を最近したことが無いなあ〜ボンヤリ眼前の広がる海を眺めながら・・・・・。

最近は行き交う大船もめっきり減りました。夕暮れ時に航跡を目で追いながら、友や知人と傾けたビールのあの味もおぼろになりました。口角泡を飛ばしたことも〜。

昨日今日と好天に誘われて墓地の周りの雑草を曳いたり背丈の伸びた近くの生垣を切ったりしたのですが、見渡せば各墓には、談笑したり声掛けしてくださった方が大勢眠っています。
子供の頃五千人近くいた祝島の人口、島外に出られた人も沢山おられますがそれが今は300人に減少したのですから、寂しくなったのも仕方無いことです。橋部家の墓は西墓地内の高台なので瀬戸内が眼前で、集落が見下ろせます、そして自宅が見下ろせると言う好位置なので、良いのか悪いのかと時々自問したりで、まっ贅沢な話です?。

写真の更新が上手く行きませんので、先月のを添付します。





田布施町に行った時に撮りました。翩翻ヘンポンと泳いでました。



6月05日:小雨後〜
起き出して見上げると今にも降りだしそうな雲がビッシリ?の空でした。
予報では昼頃から雨でしたが、降り出す前に用事を終えて〜と準備万端。。

ところが、玄関出たら「アッ、補聴器」と後戻り。次に出ようとしたらヒゲが伸びてるな〜で後戻り。
「あれ、ポロポロし始めた。」と傘を取りに。次に10歩くらい歩いて「アッ、マスク」でまた後戻り。
ひげを剃る時はずして再度つけなかったナと反省。
玄関またいで’「お〜ぃ、忘れ物無いか」とキョロキョロ〜。’ヨシ、ヨシ’と自信たっぷりに歩いて着いた途端、「ワ〜、書類を忘れた〜」で、アウトでした。これ痴呆って言うのですかね?。
だからか、一日がすぐ終わってしまう。反省はするのですがネ〜。










6月04日:晴れ
午前6時32分予定通り’いわい’第1便が着港しました。数人が乗り込んで今日が始まりました。

今まででしたら、’いわい’に会わせるかのように漁船が出港したり帰港したりで出入りがあり活気を感じてましたが、動かない漁船〜その中には自分も〜〜。

土曜日だけど今朝はレジャーボートもまだ出現なし〜です。

それに行き交う耕運機のビワ畑に急ぐ機音もなしで、私の今は’音の無い’世界です。




オレは当分お休みだ!と言ってたけど、体調回復したかな〜。












6月01日:晴れ
午前中に用事を片付けてホッと〜。室津港の桟橋がヨット来航で混み合いそうなので急いで帰り支度しました。
昼食がまだだったのでノンビリと食べながら〜と思ったのですが、走りながらではノンビリ〜とはなりませんでしたがゆっくりと帰走出来ました。
驚き〜というよりか予想通りでしたがPM2:00過ぎ、鼻繰島から祝島沖には漁船の姿無く、海の姿が大きく変わってしまいました。














5月31日:曇りのち晴れ
まだ雲が沢山に残されていて、西から雲が迫り出して風がやや固まって海面を渡ります。
柳井医療センターが帯状疱疹の治療をしてくれるので自船で出かけました。
びわが手に入ったのでついでに積んで行こうと準備したのですが、西から突風が来そうで、「ヤバイなぁ〜」と躊躇して定期船への変更を思い、いや自船で行けそうだと思い直したり直前まで悩みました。
その心の葛藤に疲れてしまいました。出航が’いわい’第1便と前後してだったのでそれにも悩みましたが、’いわい’の運航を邪魔することなく出発運航でヤレヤレ〜。

帯状疱疹も発症直前で食い止めることが出来たみたいで、こっちも「ヤレヤレ〜」。
でも体のあちこちには症状が残ってて、とにかく痛くって〜〜。しばらく悩みになりそうです。

出航前の雲の流れ〜





5月30日:雨
予報通り雨が静かに降っています。シトシト・・・と表現がしづらいような小雨です。

これから11時から、光明寺前坊守さまの葬儀告別式が行われます。物静かな方でしたがテキパキとされてました。縁戚でもありましたので橋部家は懇意にしていただき両親から孫達姉妹達も心にかけていただきましたし、冴子も瀬戸の花嫁さんと呼んでは可愛がってもらいました。
最近は身近な方とのお別れが多く、自分も心支度をしなければと思う今日この頃です。

何だか対岸辺りが、周りが明るくなって来たようで雨が上がるのかな〜?。
島中が静まりかえって悼んでいます。お寺で葬儀は行われます。







5月29日:曇りのち晴れ
今日はこんなに上天候なのに明日は大雨だという。

自分は帯状疱疹のはしりみたい。一週間くらい前から何かと不調で身体が猛烈にだるい。
とうとうガマンが出来なくなって昨日は休日診療所のお世話になった。立ち上がると足裏に違和感があって歩き辛い、熱は無いのだけど動きたくない。これではまるで怠け病だ。










二便で帰島しました。釣りを楽しむ家族がいました。


5月28日:曇りのち晴れ
昨日からこのあたりは強風注意報が出ていてやや騒がしい雰囲気の周囲でした。
今朝も西風がかなり吹き付けて来るので高気圧圏内なのになあ〜と沖を眺めてましたが、白波にもならず???でしたが、午後に入ると次第に治まって来ました。

昨日はレジャー船がウロウロしてましたが、今日は散見出来ません。
聞けば「釣れないなぁ〜」と溜息ばかり、何故なのか、魚がいないとの愚痴が聞こえて来ます。









5月27日:晴れ
快晴の青空です。やはりニッポン晴れは心地良いですね。

二便で帰島しました。










5月26日:雨上がり晴れ
室津の家の二階から撮りました。
せっかく雨が上がったのですが、まだ人が集まりませんでした。


↑↓西の窓から



↑↓東の窓から




5月24日:晴れ
今朝も平穏な朝でしたが、いつもよりか赤く焼けました。
二、三日先に一雨あるようなのでその予告かな〜。

いつも遅れてしまう庭松の新芽きりを昨日から取り組みました。
伸びてるのを切り取るので余り考えなくても良いので仕事としては手早に出来るのですが、半月ばかり後でするのが良いのですが、押し迫ると雨にあったり用事で出かけたりと上手く日程が合いませんので、がんばりました。

こうして腰掛けて作業していると、足首辺りが痛くなり、かまわず動かしていると膝の裏側が痛み出し、足の付け根まで上がってストップ。何故か判らないので明日は整形科に行って見ます。

今日で三日、ガマンできず痛み止めを飲んでるのですが、何で〜なんで〜?。
用事も出来たので二便で渡っておきます。










5月22日:晴れ
平穏な朝です。雲ひとつも無い五月晴れ〜と言うよりか夏の明け方でした。
それに誘われて、久しぶりに日の出を撮りに出かけました。
朝陽の出が皇座山にかかっていました。あと一ヶ月で夏至なのですから、もうこんな位置なんだなぁと独り言言いながら、あれこれシャッターを押しました。

カレコレ一時間、今までは帰宅すると味噌汁が出来ていて「ハイ、お帰り〜」と迎えてくれた冴子は
遺影となってニッコリ?。”ん〜〜!”
ついこの間までは目覚めたら日の出前に集落内を歩き回ってたのになあ〜と悔やんだとてもう帰らぬ話。撮り溜めた写真が30万枚越えてたのは三、四年前だったのだから今はは相当数?!。大区分をして置きたいと思うのだけど、まだそれに熱中できない。><;)
今まで使ってた「デジカメ同時プリント」を新しいアプリに変更したいと勉強?するのだけど、「手なれた同時プリント」が手離せ無い。残された時間は少ないのに・・・・。

まっ、グズグズ言わないで、「しっかり歩きましよう!」とお医者さんに指示されているので、ここでストップして〜。

















5月21日:晴れ
沖縄や奄美は大雨だ、太平洋側は雷にご注意を〜と今朝の天気予報。
前線の活動が活発になり南九州を巻き込みそうになりました。やがて前線が北上して来て九州中国地方の豪雨災害ニュースが主役になる日も近づきました。
暑いな〜と振り返ってみると室内温度が27℃でした。真夏日で悩まされる日も近いのでしょうね。









5月17日:晴れ
今日は晴れる予報だったようなのに曇り空が広がっています。



室津港と皇座山


5月15日:曇り〜
今日は晴れる予報だったようなのに曇り空が広がっています。

心地よく泳いでいた鯉のぼりもお役目を終えて退陣したようで電柱がやけに目だって来てます。
やがて入梅が近づき今度は雨に文句つけてはブツブツの番になるのかなぁ。

手元に写真がないので、先日撮った祝島港と海底の写真です。
スマートフォンのカメラが機嫌が悪いのでこれから柳井のドコモ店に行って見ます。







5月14日:曇りのち晴れ
たっぷりと降った雨、あとに広がった薄雲がさらに次第に薄くなって来て、皐月の青空が広がっています。







5月11日:小雨後曇り
小雨がシトシト〜と降っていましたが次第に明るくなって来ました。
室津の二階の北側の窓を開けてパソコンデスクから顔を上げると
北東の窓半分を皇座山が占める。
先程から頂上付近をゆっくりと霧が通過しています。


 

一便の’いわい’、雨の中迎えに祝島へ向け出航した。



5月09日:曇り
五月晴れを期待しているのですがどんよりとしたままです。
身体がだるく更新に集中できません。今朝ほどからPCに向かうのですが気が散ってしまって立ったり座ったりの繰り返ししています。

不在が長引いてしまいました。三男が帰って来たのですが室津に留まりました。
墓参りを〜と思ったのですが、感染騒動に巻き込まれては大変なので、室津でゆっくりしようと思いながらも、UVカットのカーテンに取り替えたり、苦手のすき焼に挑戦してみたりであっという間に終わりました。
帰りは下松まで迎えに行ったのですが、行きは田布施駅までで見送りました。
帰宅してみて、’ひとり生活’に戻ったのですが、ヤッパリ孤独感に胸が絞めつかれました。

昨日帰島したのですが、海岸通りも人通りは稀で曇ってると余計寂しい!。

やっと更新しました。長く引っ張って申し訳ない。途中室津宅で更新作業に取り組んだのですが後一歩まで〜になったのですが、OneDraiveが勘違いになってしまったようで・・・・。














5月02日:晴れ
連休の人出を誘う放送が繰り返されている。
感染者が多いのに経済が大事だという説、強いて反対では無いけれどもなんだか矛盾を感じてしまう。「捨てるのもったいない〜」言ってる事は理解してる心算だけれど縮小する努力も要る話のような気がする。
戦争で使うのとは話が違うけど、弱者救済のためとはいえ、赤字国債の顛末は大丈夫なのだろうか。






↑ 室津港、後ろの山は皇座山
’鎌倉殿の13人’  来週は早や壇ノ浦合戦。
義経の印象がただ戦好きというのも何だかしっくりしないけど・・・・。
安徳天皇がこの山を越えて下関へと下って行ったと言うのも
清盛と頼朝の生き様から想えば哀れですね。


 5月01日:晴れ
五月に入った。
大型連休、ゴールデンウィーク〜と一斉に出歩く佳き時代があったけど、子ども達と旅行を〜することも無く過ごしてしまった。三年前結婚50年と言うことで子供たちに祝ってもらった後、家内の病状があれよあれよと言う間に進行して、近くでも良いからと思い出したらコロナが流行って、とうとう・・・・。
勤続三十年で戴いた旅行券を書類箱から出したり入れたりを繰り返してしまった。
使わなければと思いつつも機会を失してしまった。

思えば今日は結婚記念日。無念〜!!。


      旧友人達からリクエストが有りました。
      目障りでしょうが、ご勘弁下さい。


最近、釣り好きが増えたとか・・・。






4月30日:晴れ
前線が通過して西日本は晴れ間が広まっています。日差しが暖かいので嬉しい〜!?。

二便で帰る予定が、室津のパソコンで更新してたら手間取ってしまって〜、><;)
写真の挿入が上手くいかかった。 何故〜?。


室津の橋部邸の二階遊び場?pcパソコン机からの皇座山↑ 

↓ 
海側の窓から平生町佐賀の光輝病院(右側山頂近くに〜)、左側室津港



この窓から〜、上関海峡の上り下りの船の動きが楽しめます。
道の駅駐車場も眼前に〜。





この後三便で帰島するので、花を飾ったら、”ニッコリ”。

50歳の時、二ヶ月余り入院して脊髄の手術して退院の日に撮りました。
こんなに元気でしたので皆さんビックリでした。


4月29日:雨のち〜
AM6:00頃から雨予報〜。室津は今日はゴミ集荷の日なので集荷場所に持って出て帰り道、顔に雨が当たった。帰宅して時計を見ればなんと6時を指していた。予報ピッタリだなぁと感心?した。><;)

それから降り出した雨が降り続いてる。少し小雨になった昼前ごろなんとなく明るさが増してきたので午後は上がる予報だったなぁと心待ちしていたら海峡が波立ってきた。
やがて西風に変わってザァ〜とスバエ(大雨が突風に乗って吹き付けて来る)が窓ガラスを揺らした。
そして雨が止み白波が消えた。寒気があれば二、三日大時化になるのだがもう春が来てる。
前線が通過したようで関東北海道あたりが大雨になるパターンだ。

午後二時、雲が忙しく流れるが次第に治まって来そうだ。夕方には雲が切れ青空が見え出した。

昼のニュースで沈没した観光船が100bの深海に沈んでいるのが発見されたという。
さすが自衛隊の掃海船だな。



東風が強いので白井田周りで〜。





4月25日:晴れ
「あれっ、曇ってる〜、晴れの予報なのに〜」と海岸通りで見あげてもどんよりとした空は無表情〜。
 ’ん〜 ’と言いながらテレビをつけたら「晴だ、夏日かも〜」という予報。誤診だな〜とブツブツ・・・。

まっ、とりあえず洗濯しておこうと準備して、スタート押して先ずは朝食を〜と台所へ。
食べ終えて洗濯機を開けて取り出そうとしたら、何だか変? 「あれっ・・・、濡れてない」。
再度押して、二階に上がってパソコンを立ち上げて見ても、天気予報は「晴れ」。???

何となく明るくなって来たなぁ、干す支度しようと洗濯機の前に立つと〜?。
開けてみれば濡れてるけど、まだ済んでないナ〜?。変な日だな〜と再実行。

 ”濃霧注意報”が発令されていた、だから霧に被われていて暗かったのだった。
その内次第に明るくなりやがて日差しも〜。洗濯物を干したら10時に。
何となく肌寒かった室内も上着を取って窓開けたら、なんと春風が流れ込んできて、ビックリ!。

「子供を救助した」とニュース。佳かったなぁと手を叩いたら、死亡確認と続報。 ><;)
3〜4℃くらいの水温では助からない厳しさ。

ウクライナも大変だけど、ニッポンのゴールデンウイークも水差されたかな。
コロナ怖くって皆が室内にこもったら、景気回復は後回し。
「ガマンだ、ガマンだ!」ではガマン出来ないところも出てくる。

明日はまた前線が近づいて来る。火、水曜日と通院予約、三便で室津に渡っておかなくては〜??。
明日一便で出かけると、ゴミ出しが出来るのだけど風雨予報なので中止になると待機しても意味が無いし〜なぁ。またまた ’ん〜?’。












4月24日:雨のち曇り
静かに降っていた雨が上がりました。いつもならすぐに西風が吹き付けてきて白波一色に変わるのですが、温みが経つと優しく平穏な刻が流れて行きます。

北海道の知床観光船、生憎の時化に遭遇して楽しい旅が台無しになってお気の毒ですが、海の怖さが油断すると牙をむき出してしまいましたね。
「19トン」の大きさだったようですが”一昔前の定期船せきれい”が同じく19トンでしたが、あの大きさでは3bの大波では抗しきれなかったでしょうね。テレビに映る巡視船が波間にすっぽり入ってましたから、底の浅い観光船ではどうしようも無かったでしょうね。海岸から打ち返す波は不規則で三角の高波になるのでお手上げだったでしょう。波にもまれるって(想像できないでしょうが)なかなか抜け出せません。私も何度か怖い目に会いました。
祝島の港外がベタ凪ぎで光ってますので、余計お気の毒です。













4月23日:曇りのち雨
薄日が差していたと思ってたら昼頃にはポツリポツリ〜と落ちて来ました。雨になりましたが海はベタ凪ぎという状況です。
昨日は春の日差しが心地良く日差しがもったいないので冬物衣類やセーターなど洗濯したり陰干ししたりしたので帰島が第三便になりましたが、日がまだ差していて日照時間の長くなって来たのにちょっとビックリでした。

山肌も新芽から若葉へと移行して来ました。刻は止まりません。









4月17日:晴れ
一日が経ち、夕闇の時間が迫って来ました。
昨夕帰って来たのですが、もう一日が経過しました。
早いなぁ〜と振り返って見たのですが、何をしたのかなぁという顛末。机上を整理して、間の着替えをと、取り出し始めたら、"冴子”の物が次々と出て来て、サテどうしようか〜と右に置いたり左に置いたり・・・。一枚ずつ見て行くとアッこれは〜、アッこれは〜で処分物が激減少、結局またにしようでチョン!となり、後日の仕切り直しとなりました。なかなか片付きそうも無い〜、~~;)

明日も好天気のようなので冬物を洗濯したり、陰干ししたりで〜。
押入れの箱の中、覗いて見たら諸々が有るので、悩み多い一日となりそうです。



















4月12日:晴れのち曇り
静かに刻が流れています。
〜春眠暁を覚えず〜という漢詩の文が何処からとも無く湧いてきます。

そう言えば漢詩の掛け軸がありました。午後整理してみましょう〜と思ったら二便で出かけなければならないことが出来ました。大急ぎで支度しなければと更新も簡単に〜。ご勘弁を〜。







花が沢山に咲きそう〜、蕾となりました。

4月11日:晴れのち曇り
天候は下り坂のようです。昨日までの青空が灰色に覆われて来てます。
まだ雨にはすぐならないようですが明後日頃から一雨来そうです。良く見れば木陰の花弁が心なし萎れた感じがします。そう言えば、雨は何時頃降ったのだったかナ〜?。



庭木の剪定をしました。







4月10日:晴れ
今日も穏やかな春日和です。

山桜も葉桜になったようで、霞みの山肌に溶け込んでしまいました。
レジャーボートが散見されますがノンビリと流しています。余り移動しませんが釣れないのでしょうか。

平穏な日差し〜、平和ニッポン、バンザイ!。
上関原発建設計画中の四代の田ノ浦湾、
ロシアの燃料資源を欲しがるよりか建設促進を〜なんて無茶な考えがあるとは思いもしませんが
ミサイルが飛んで来たら立ち向かう社員教育をしてるのだろうか?。













4月09日:晴れ
お天気は上々、昼下がりお墓参りを兼ねてウォーキング。
つい数日まえの寒波に震えた日々が嘘のような佳き天候で幸せを感じました。
冴子が元気だったら北野地区まで遠出なのに〜と思うと残念で。。。。

帰り道は西岡地区を回って帰りました。途中日向ボッコしてる人たちからお悔やみをいただきました。ここにも冴子ファンが居られたか〜と。世話になったというお礼の言葉、嬉しくもあり、またビックリ。

少し歩いたら親子らしい二人連れ、年長のほうは良く見かけるので話しながら、「息子さんか?」と聞いたら「弟です」〜。そう言えばスポーツ少年団の強打者兄弟だった。とうとう負け知らずで連勝だったなとか。試合の後のジュースが美味かったとかも。40年も前の話に華が咲きました。
そうだ、「祝島フォト情報見てますから続けてね」とも。100万回アクセスの上積み、頑張らねばと力をもらいました。

帰宅したら、今夜のおかずがご馳走が二つも届いていて、どちらも私の大好物。昨夕も届いて舌鼓を打って二杯も飲んじゃった。今夜も嬉しくいただきましょう。ありがたい話です。感謝!








4月08日:晴れ
二便で帰島しました。これまで何かとざわついていた海がおとなしく?、春本番の海面がのたりのたりとノンビリと揺らいでいました。
のどかな風景です。荷物を片付けてふとテレビを見ればウクライナの戦車の残骸がアップで惨めな姿、大きな違いです。何が間違ってるのか〜?。ロシアは何も知らない、捏造だと嘯いている。
これが片付くには数年係るとか?、外部はともかく当事者の子供たちの教育は誰が責任を持つと言うのだろう〜。過ぎし日は取り返しが出来ない。少子高齢化の世界的減少、人口が多い国も有るではないかというても高等教育環境でないでは、問題解決にはならない。
戦争とはそう言うものだと言えばそれまでだけど、ロの大統領は正義のためだという。このギャップ、埋めてくれるのは「葵の紋どころ」しかないのかと思っていたら、「無宗教、今はすべてが神頼み」という川柳句?見つけた。 ア〜〜ァ!。














4月05日:晴れ
関東東北地方には前線が残っていて雨だという。
しかしこれから前線が去って寒気は消えて防寒コートがスプリングに衣替えとか。
今日は二十四節気の「清明」だと〜。やっと冬から春へ、イヤ、初夏かな。
やっと寒気から開放される。〜〜) 三浦への海岸道路を走ったら桜が満開だった。












4月04日:晴れ
起床はAM5:00でした。
血圧体温など測った後身体をほぐしていたら、もう朝焼けで明るくなって来たので出てみると長島の山から立ち上がったところでした。今日も上々の天気のようで背伸びして肩を上げたら「アイタ、タッッ〜」またまた痛みが・・・。なかなか直ってくれません。><;)
けども、使わないと良いみたいだけど使わない訳にいかない。しゃぁ無いとブツブツいっても仕方ないので、好天なので毛布など干そうと屋上まで数回、上下。風も微風なので上々なのだけど、花粉は飛んでるのかなぁ〜?。布団掃除機で花粉は取れますよ〜習ったのでやってみましょう。













4月03日:晴れ ta
また5日には出かけなくてはならないので、帰島をどうしよう〜?と迷ったのですが、用事がPM3:00頃に丁度片付いたので定期船に乗りました。
今日は凪ぎで適度に揺れましたので、こっくりこっくりしながら・・・・。



’いわい’第3便、出航頃〜





4月02日:晴れ
北東からの風波〜、次第に凪いできました。
日向に出るとほっとする暖かさです。

今朝の”朝ドラ”に泣かされました。で、再放送を見て昼食を終えたら、更新がまたまた遅れてしまいました。この朝ドラ(連続小説って言うのだった?)には味噌汁が煮詰まったり、鍋を焦がしたり、失敗を繰り返してしまいました。 私の反射神経が相当イカレてしまってる?。ヤレヤレ・・・ ><;)

町の教育委員会教育文化課から絵てがみ教室再開の連絡が来た。コロナの感染防止対策で中止されていたのだけど再開されるという。俳句会も再開の運びだ。^0^
火曜日(3/29)に有ったリズム体操、張り切りすぎた後遺症?か身体が重い。リズムに乗ると楽しいのだけど、唄に例えるとオンチ。克服には相当の時間がかかりそうなので、これは難問だ。~~;)

























3月31日:雨のち曇り
あわただしく過ぎる日々、桃から桜花爛漫へと季節は移ろいました。

毎日繰り返され、綺麗だったウクライナの街が情け容赦の無いロシアの攻撃で壊されていく過程を見てると。正義とは〜何ぞや〜と、日本流で言えば神も仏も無い無慈悲な殺し合いをこれでもか〜と見せ付けられて〜、自分の無力感を痛感してもどうしようもない様相・・・・。

けれど、今から80年前の日本、続く空襲に脅えながらも竹槍で一億総決戦とこぶしを振り上げてた過去を体験した日本。
祝島の墓地を歩くと昭和20年8月14日戦死と刻まれている墓石が散見される。
17名の14〜5歳の若人が光海軍工廠に学徒動員されていて空襲にあって戦死したという。終戦のわずか一日前の出来事だ。昭和天皇の終戦勅語を録音したレコードの争奪の様子を近衛兵だった島出身の人の話を聴きながらドキドキと胸が騒いだこと、思い出したのですが、二度とその話は聴けませんでした。’もう一度と’〜頼んでも話をしてくれませんでした。

母国のためにあくまでも戦うと述べてる人たちが毎日のように映し出されているウクライナ。
良くも悪くも言論統制されている現実、ロ国の大統領には事実の情報が届いていないという。
ウクライナでは隠れ家の地下壕には水も食料も何も無いともいう。「みすみす国民の死を防げない、武器が欲しい」というウクライナの大統領、けれどその武器はロシア兵を殺傷することになる。
戦争と言う名の殺し合い、いつ終着するのだろうか。

日本の甲子園では高校生達がそして応援の人たちも涙を流した。これは嬉しい涙だ。
 ”平和ニッポン” に感謝!。











3月28日:晴れ
:*三寒四温*言葉が菜種梅雨と重なります。
例年〜もこの時期には雨が降っては温くなって来ますが、今年も〜。墓参りに出かけたのですが、道端には草花がビッシリと咲き誇っていました。

”ミサイルが飛んで来る”というウクライナ。砲撃も加わって荒れ果てた町並み。幾年の積み上げた文化が無残に壊されていますが、早く対応が出来ないものでしょうか。
まさか国連の平和維持軍に大砲を向けないでしょうから、一刻も早く分け入って子ども達の命を救うべきだと思いますけど、そんなに簡単に行かない?と言っていたら、かけがえの無い命を失った人にお詫びをしたって基には戻らない、憎しみの連鎖が限りなく続く不幸を、皆んな判ってると思うけど・・・。
ロ国の大統領は平和のために戦ってると支持するロ国の人たちも、可哀そうだですね。


















3月27日:晴れ
昨日の暴風雨を思えば今日は綺麗に晴れ上がった春の日差しいっぱいの青天でした。
着物も一枚減らしたのですが丁度良くって暖房器具も隅に押しやりました。

山肌はまだ替わりませんが、山桜は新芽を出したようで逆光で撮ると桜花爛漫の来春を告げています。二、三日したら一斉に開花します。
桜花下での花見の宴のお許しも半数位出たようですが・・・・。どうなさいますか〜?。
 mコロナ禍は’吹っ飛ばせ’m〜でしょうか?。


















3月26日:暴風雨
昨日25日三便で帰島したのですが、南東からの風波で白井田周りで帰島しました。叶島を過ぎると大きく揺れてちょっとビックリでしたが、乗客の皆さん誰も平気?で何食わぬ顔、船長さんが懸命に操船してましたが、さすが経験を生かして無難な航海でした。

今朝は起き出してみればもう予報通りの天候で雨が降ってました。
東寄りの風だと我が家は安泰?でヘッチャラですが、「不公平だ」と東地区と話すと笑い話になるのですが、集落がどうして祝島の北東地区定まったのかに興味がありますが、弥生時代と言われる遺跡を考えると高地集落からの経緯を書き留めて置くべきだとアドバイスをもらってるのですが、振り返って見れば大筋は見当が付きます。
ボケないうちにとせかされると、まだまだ〜と開き直ってる〜?!

冗談はさておきメモに肉付けしていけば良いので、集落位置だけでなく神舞編も次期規模縮小は必至なので事前準備に取り組まなければならない〜かなと。
”祝島の昔話”を語る会の開催希望も届いているし、けれど最近何かと意欲減退気味なのでここらが踏ん張り所だぞと座り直したら、心がざわついて来ました。











3月21日:曇り
定期船’いわい’が定期検査と言うことで休航中なので代船の金比羅丸が就航しています。来月4日まで〜と少々長めの代船です。毎年この時期なのですがこの時期は大気が不安定で佳く時化ますがこれも仕方ないことですが欠航したりで慌てることが多く、注意が必要です。
22日が通院日なので三便で室津まで渡りました。





3月19日:追加報
とうとう、”百万アクセス”に 到達出来ました。
写真をわざわざ撮って送って下さった方々、心から感謝いたしております。
また、長年に渡り、替わりばえのしない情報を飽きもせずアクセスして下さった沢山の
皆さんが居られたからでありまして、お陰様で高嶺の華を見ることが出来ました。深謝!。

所用やPCの不具合があって掲載が遅くなりました。とりあえず速報します。








3月19日:曇りのち一時雨
昨日(18日)は一日中雨風で何処にも行けなくって家の中で悶々。

時折テレビを点けると、東北の震度6強の被災状況と、ウクライナの戦争に巻き込まれ逃げ回る子供たちと高齢者、どちらも抗する術無き弱者達、飛んでくるミサイルや砲弾では隠れても運試し〜、話し合いではらちが開かないからと武力でと言うのだろうけど、それではこちらも武力で〜となってしまったのではどうしようもない。兵隊を雇って戦争するって正気ではないと判ってても止めようが無い〜とは。
強いものが勝てば良いというのでは、他の生物以下、笑われる話だけど、理性なき権威者は他者の生死にこんなにも無頓着だとは〜。

定期船が欠航、丁度祝島から船が渡航して来たので乗せてもらって帰れたのだけど。欠航の理由はあるみたいだったけど、地震も震源地がわかっても、後の祭りではこれも困った話。

自分も体調不良が高じてきたのだけど、歳の所為だけでは無いみたいだし、これも神様の思し召しで生きながらえるしかないのか〜?!。

横綱照ノ富士が欠場。当分天下かと思ったけど、若手の成長が著しい。












3月13日:曇りのち晴れ
遠くがボンヤリと霞がかかってるようで春の風情になってきました。今年は立春から冷え込んで来てびっくりでしたが、ようやく季節が動き出して来たようです。コロナ禍で花見も自粛して来ましたが、なかなか減らない感染者数ですが、一体どうなるのでしょうか。

ひとり暮しだと急激な体調変化が怖いのだけど、最近不良箇所があちこちと出て来たみたいで「老齢化現象だな?」と思うこと度々〜。
都々逸の”あなた百までわしゃ九十九まで〜”の歌詞が希望だったのですが叶わぬ夢になりました。

昨日、友人からお刺身の差し入れがあって、美味しくいただいたのですが粗(アラ)を水炊きして温くもりながらゆっくり食事をしたのですが、水屋の上の隅の盃と銚子が目に付いたので「オイ、燗をして〜」と言いながら振り向いたら遺影の彼女がニッコリ。
’コップ酒で、たっぷりどうぞ!’と言ったような気がしたのだけど、たっぷり飲めなくなりました。~~;)













3月12日:曇りのち晴れ
6日の’いわい’第3便で島を出て、昨夕の三便で帰島しました。

スマートフォンのライン教室に行ってライン基本?を聴講したり、友だちを登録方法に挑戦、次の日にはリズム体操の三回目。前週をサボったのでちょっと気恥ずかしい思いで教室に入ったのでしたが、皆さんの眼差しが優しいのにドギマギ。まだ汗をかくほど動けないのですが、マァマァ一生懸命〜!!。右肩が先々週頃から違和感があって、お灸と針で治療。すぐ効果があった訳ではないのでしょうが何だか軽くなったようで〜〜^0^)
.で、夜には総合文化センターでフォトサークルの例会。皆さん熱撮の写真を鑑賞しつつ自分のも〜。
次の日はグランドゴルフの練習日だったのですが肩がまたまた痛み出して急遽欠席に〜。
昨日11日(金)は室津上関地区は燃えるゴミ集荷日だったので出して室内の清掃や洗濯物の片付け
したりしてたら三便の出航時間が近づいたので帰島することにして祝島に〜。

今朝には海はベタ凪ぎなので出漁を〜と思ったのだけど、やはり肩にまた違和感が出て・・・。
手を見れば、「カン(寒)バレ」が急に綺麗になって来て何だかこちらは不思議で・・・?。

ふと外を見れば日差しが強まって来たみたい、明るくなって来ました。










3月05日:晴れ
モンゴルで黄砂嵐で日本上空に今日到達とか〜、それに花粉が飛んでるとかの予報。
南予報士の解説ですが、あれっ昨日(4日)も解説されてた?と思ったら先週のことでもう一週間経ったのかと〜。日の経つのが早い。 @@;)

今日も良く晴れて雲がありませんが西風がこれから吹いて来るようです。
「要ご期待!」とは言えませんが、それはそれとして、ウクライナでは大砲やミサイルで歴史あるキエフの建物が被害を受け、国土が焦土化してますけど、大人と子供程に態勢に格差があるのですから、早く収めないと取り返しが出来ないと思うのですが、何とかならないのでしょうか。




3月04:晴れ
リズム体操をすると膝の上辺りが震えます。
筋肉が衰えて来てるみたいなので、坂道や階段を上るとひどく感じます。思えば最近歩き回ることが減ってしまって、それに歩かないで車や単車についつい乗ってしまうのを自覚していながらですから責任は自分で取らなければ・・・・。











干潮で港底が顔を出しました。よく引きました。





3月03日:晴れ
今日も良く晴れて雲がありませんが西風がかなり強く吹いています。白波が風に押されて忙しく西から東(右)へと移動しています。波はあまり高くは無いようですが、釣りには出られません。

ひと昔前は、少々無理しても出れば何かと漁があった(釣れた)のでしたが、最近は出ても釣り果が無いので無理して出漁しても〜という風潮になってしまいました。

帰港した船に「釣れたか?」「種があった」の問答。二、三匹。マアマアで凡そイケス半分位。釣り果を濁すのが常識だった。明日も釣りに行くのだから先回られると面白くないと言うのも有ったからかも。

まだ駆け出しの頃、いっぱい釣れてホクホクで帰港したら、隣に船を係留するおじいさんが「どうだったか?」「マアマア〜」と言えば良いのについ「二、三匹」と言ってしまった。
イケスを覗き込んだおじいさんが「お前も漁師根性になったな」とニヤリ。
後の返答に困ったことを時々思い起こしてましたが、今は逆に一、二匹でもマアマア〜。

これは落語ではないのですが、なんて言えば良いのでしょうか。 ><;)














3月02日:晴れ
静かな夜明けだな〜と、濃霧注意報が出てるみたいだな〜と思いつつ、朝日を追っていたら急に霧が濃くなりせっかくの太陽をすっぽり包んでしまいました。あとワン・シーンをと移動してたら霧のほうが早く太陽を包んでしまって、’ん〜!’でした。
凪だった海面も次第に波立ってきて昼前には白波が一面を覆ってしまいました。














 これは第二便です。



3月01日:雨
弥生三月の幕開けは雨でした。これから三寒四温が繰り返されて暖かさが増し初夏へと移ろう日本の四季。枯れ枝に見えてたのに近づいて観ると蕾が膨らんで来てます。

日めくりの今日の名言カレンダー。キャベツを台無しにした青虫に腹立てて愚痴をこぼしたら近所のおじいさんから返ってきた言葉、「生きてるもんは、みんなちょっとは悪いことをしてるもんよ」と。
モグラもノネズミ、タヌキも「許してやれ」寛大だと。エっ、イノシシも〜。なんてつまらぬこと思った。
この言葉、米ロの大統領に届けたら〜、怒られるかな?。

そしたら、ロシアの攻撃で負傷した女の子が手当ての甲斐なく亡くなったという昨日のニュース。また成年男子は避難せず戦えと言う命令?が出て父や兄と別れたと泣きながらの訴えも〜。
アメリカが参戦したら世界大戦になる〜、ロシアは核兵器を使うかもとか。
こうなると止まることが出来なくなる。勝者は居なくなる。「再び戦争をしない」ためにと出来た国連。
国連さん、こういう時しっかり活動くしなくては〜〜。

昭和20年終戦近く、空襲警報のサイレンに起こされて、祖母に背負われて防空壕が無いので近くの木陰に避難した思い出も幾度か。、三歳半の頃だったのに、対岸が燃えていたのを覚えていて徳山(今の周南市)空襲の時だったのかなと〜?、それは後日談。
墓の参道の途中にその木があって、頭上を覆う木陰でその後休憩した折々、見上げて、この下に大勢が集まってたのだからグラマンの機上から丸見えだったのになぁ〜と。側で母に抱かれてた赤ちゃんだった妹がギャギャ〜泣いてた。まだまだ、今思い出したらいろいろ〜。




’いわい’第2便、東周り(四代)を諦めて西周りで〜。







2月28日:晴れ
朝から、最近に無き上天気。
余りにも佳き日和に誘われて、釣りに出漁。勇んで出かけたのですが、30aクラスの鯛一匹、20a1匹。沖メバルとカサゴを1匹ずつ、これで4時間近く要しました。><;) ア〜、ア〜。




















2月27日:晴れ
西から高気圧が張り出して来ましたが、風がやや強くて休漁です。
昨日ほど冷気は無いようですが、浜通りに立つとやはり寒くうららかな春は足踏みかな〜?。
平均気温が2月は低かったようで、花粉の飛散はまだまだ少ないようです。
遠くは春霞に覆われているかのように霞んで見えますが黄砂でも無いようです。
しばらくは冬の延長戦に耐えなければなりませんが、ウクライナのようにミサイルや大砲の弾では無いのでガマンできますが、戦争は止めて欲しいものです。









2月26日:曇り
’いわい’第2便
















2月25日:晴れ
*北西風が昼前に強まって来て、夕方にはやや弱まる。*
何だか最近はこんなパターンが繰り返されているような気がします。今朝も「嬉しや。今日は凪みたい
だな〜」とゴミ出ししながら呟いたのでしたが、またまた〜。でも良く見るといつもは遠く牛島あたりに見えてくる白波が今日は無い見たいです。
22日のゴミ出しが時化で中止になったので気になっていたのですが、今日臨時に集荷するという放送があったので、昨夕急遽帰島しました。集荷が冬場は週に一回なので生ゴミが多い時は慌ててしまいます。それに火曜日の時化が最近多いような気がする。自然に注文つけても駄目ですよね。
個人的な話だけど私の診察日は火曜日が多く、日程は変更できるけどDr.の都合で曜日は変えられないジレンマがあるので困ってます。

それとニュースを見ると憂鬱になりますね。
夜明けに爆弾やミサイルが飛んできたと言うウクライナ〜。
ロシアが〜ロシアが〜と警告?する米国。情報を公開すると言うことで頻繁に会見やら声明で知らせてくれたのでしょうが、ウクライナの皆さんはストレスが高まってたでしょうね。
対するロシアは侵攻はしない戦争はしない〜と言いながら軍事演習だと言い訳?しながら着々と態勢を固めて〜。
経済制裁で思い留まるくらいなら、戦陣を大挙展開しないだろうがなぁと素人評論家頭で思っていたのでしたが〜。
世論が味方すると言っても100%がロシアを責めはしないだろうし、中には無責任な世論もある。

そうした戦禍の中で立ち往生してるウクライナの国民の皆さん、誰が助けてやれるのだろうか。
「米国が守ってくれる〜」というので核を持たなかったという、ウクライナの外相の言葉がニュースの中にあったけど、自国民を守れない〜悔しさがありありと。

国連の安保理がこういう時に機能しないというのも、悲劇ですね。
日本国の平和憲法を世界の手本に〜と習って、眼を輝かせた義務教育の子供の頃を思い出します。その憲法を手放すかのような憲法改正論議、〜袈裟の下に鎧〜思想が強まるのは大変悲しいことだと思うのですが、素手では国民を守れない現実社会、武器商人が高笑いする時代にだけは戻って欲しくないですね。













2月20日:晴れ
寒い日が続きますね。
この間から身体が寒さを警戒してるのか、外出したくないので窓越しに海岸通りを眺めてるのですがこちらも人影なくって、皆さんもオリンピック観戦なのでしょうか?。

鍛錬の成果が花開いたり、散ったり〜とそれぞれが思いを込めたシーンの数々・・・・。
北京と1時間の誤差ですが、昨夜も最終まで観戦したので就床は午前様になって、今朝は何と目覚めたらたら8時前でした。10時からはカーリングの優勝決定戦があったので、とうとう午後1時までテレビの前での立ったり座ったりの繰り返しでした。

風は相変わらずの北西風、しかも冷たくって終日ストーブのお守りをしました。
日本列島は寒波の嵐。そして今夜はオリンピックの閉会式、この方は無事に完了でしょうが、米ロも花火で終焉して欲しいものですが・・・。 




雪が舞ってるのでしょうか〜: 煙る平生町・大星山  光市室積・御手洗湾





2月14日:曇りのち晴れ
’晴れる’との予報ですが薄曇で日差しが今一です。
曇っていると気分的にも寒さが増してしまいます。東京では雪警報が〜とのニュースでしたが交通網も平常のようでホッとされた方も多いのではないでしょうか。こちら祝島も北東からの白波が防波堤にぶつかっていますが大したことはありませんが、島の裏側に行けば釣りは出来ますが一隻出ただけで後は休漁のようです。
なかなか釣れないので仕方無いのですが、漁獲が少ないのは祝島だけでなく、瀬戸内も減少で、大きく言えば日本中が・・・・。国内産の漁獲は3割とか4割になってるとか。
輸入に頼ってると食糧安保で騒動になりそうだけど、高齢化した日本漁業の建て直しは難問でしょうか?。肝心の魚も貝類も減少の一途だとは、想像すら出来なかったことですね。

二便で出かけようと思ったのだけど、確定申告の領収証を整理したくなって三便にしました。
更新がまたまた正午を過ぎました。早くから見てくださる方には申し訳ないと反省してます。











2月13日:雨
予報通りの風波・雨です。
今日の帰島を予定してたのですが、雨予報なので昨日三便で帰宅しました。
濡れずにすみましたけど火曜日に受診なので明日(14日)の’いわい’第三便で室津に渡ろうと思っています。ならば帰島しないで受診が済んでから帰島すれば良いのに〜と自問したのですが・・・・。

こんな事書くと常識ハズレで笑われると思いますが、プロカメラマンが撮った五十代の頃の冴子の写真をA4サイズにプリントして、逝去前のと取り替えて、遺影?のつもりで飾りました。、
ところが、でもその写真は元気な時でにこやかに微笑んでいて、「エッ、亡くなってるの〜」とついつい錯覚を起こしてしまうような佳き表情なので、で、また遺影に使った写真に置き換えたら部屋の中が暗くなってしまうので悩んでいます。
帰宅してその写真を見れば安心?と言うか〜ほっとしてしまう心の弱さにちょっと呆れてしまいますが、”まぁ、しばらくは心に任せて〜”と。













2月12日:晴れ
夕方4時の室津港から皇座山を望む。上弦の月が見えましたが判りますか〜。
三便に乗って祝島に帰島しました。8日に島を出てから、お医者さんに行ったりコロナワクチンを打ったり、ちょっと多忙でした。






2月10日:晴れ
落日の後、夕焼けを期待して待ってたのだけど〜!。
室津の二階窓から〜道の駅の向こうが上盛山





2月08日:雨のち曇り
「あれっ、雨が降ってる〜」。起き出して玄関を開けてビックリ〜!。
今日は雨の予報だったかな?と引っ込んでテレビをつけてみれば9時頃まで雨だ〜とか。

雨雲はすでに通過してる?のに昼近くになってもどんより天気。なかなかスッキリ晴れそうも無いけど昨日までのように北西風が強く吹いて寒いよりかこの方が良いかなと独り言。

明日からお医者さんの診療やコロナの接種で室津に滞在するので、今日の内に室津に渡っておきます。二便の心算だったのだけど用事を片付けて出かけたほうが良さそうなので三便に変更しました。

携帯電話に緊急通報画面が出現して混乱したのですが何とか正常に戻ってヤレヤと思ったら今度はパソコンが動きが早かったり遅かったり、記入もヘンテコで更新がままならない状態で〜何で〜と思いつつ、やっと終了!?・。
白内障手術後の経過が、何だか変に?なって、渡ったついでに眼科を受診したほうが良いかなとも

何故か〜が分からないことばかりでなので余計気分が塞(フサ)ぎます。











2月07日:晴れのち暴風
昨日までの強風が嘘のようですが、やはり寒い〜!。寒気は健在?のようで寒さは厳しい。


















2月06日:晴れのち暴風
北西の寒風は相変わらず吹きつけて来ます。
コロナ君もオリンピックに負けじと今日も強烈な感染力で皆を困らせています。

行者堂にお参りして平安をお祈りしたのですが、サテ効き目は如何に〜!。












亀石:漁師さんたちの信仰が厚い〜





2月05日:晴れのち暴風
空は青天ですが今日も白波です。まさに冬の海で一面に遠くまで白波が出現します。
極寒気団が今日明日と張り出してくるようで日本海側は、大雪だと〜。

海岸通りには人影がありません。コロナ菌は吹き飛ばしてくれるのでしょうが、寒さ対策が大変!。
まぁ雪が積もら無いので雪かきの心配はないのですが、風に当らないようにするとなると屋外に出ないでオリンピック観戦ですが、”厳戒態勢での競技”、コロナ感染もですがロシアが”平和の祭典”に水を差さないで欲しいと願いたいですね。
大相撲もプロ野球も感染拡大のようだけど、この先はどうなるのでしょうか?。持病のあるこの身体、
万一感染となると自宅待機と言われても対処出来ません。

アッ、カレンダー見て、ビックリ。
今日は山口県知事選挙の繰上げ投票日でした。先程’いわい’第2便が出航しましたのでまだ間に合います。投票場まで出かけましょう〜。寒いとは言っておれませんよ、ネ。












2月03日:晴れのち暴風
空は青天ですが白波は連日です。まさに冬の海で遠くまで白波が出現します。

写真は第2便の出航時に撮りました。












2月01日:晴れのち暴風
予報では突風〜だったのですが凪ぎでしたので、久しぶりゆっくりと日の出が撮影出来ました。

しかし9時ごろには前触れの雲が広がって来たので、洗濯物干すのを屋上は取りやめて裏庭のサンルームにしましたが、正解でした。風もざわざわと木の枝を揺すり、細波が風に追われて次第に忙しく西から東へと移動を始めました。庭木の剪定も午後は駄目だな、ならば午前中に少しでもやっておこうと取り掛かりましたら、すぐに風が吹き通すようになり、連れて今度は寒くなって来たので取りやめて
午後はデスクワークにしました。

朝撮った写真を整理し更新をしていたら近所の知人から差し入れがあって、魚のフライやら煮物もあって夕食の準備はOK.ありがたいことです。
ホカホカの内にいただこうと、今日はダントツ早い夕食になります。

定期船は荒天のため欠航と島内放送がありました。






















1月31日:晴れ
*処方された薬をサボってまたまた不調になっては〜*と思い直して、昨日は昼前に出港して室津港へ〜。渋ってたのでしたが出かけたのは正解?でした。心配した風波も想定内で、気になってた潮位がジャストの高さで、楽々に荷物の運搬が出来て思わずニッコリでした。

今日も空はきれいに晴れていますが西風のようで遠く牛島の近くが白波のようです。北西風になると祝島集落に風が当りだして白波が防波堤にぶつかり出すのですが・・・・。
白波が次第に近づいて来る〜感じです。

次回の診察日は2月9日の予定なので丁度その日までの薬が確保出来ました。
前回12月22日で56日分が2月9日、ぎりぎりピッタリだけど、海が時化たり、Dr.が広島大学病院から出向してお出でくださるのだけど、そうした時不足分は無いということになるので、一週間7日分、もらっておかないと困ることになるなぁ。前回そのことをお話した心算だったのだけど、了解してくださったと思ったのだけど、もう一度診察日には相談してみよう。
9日の朝食後飲んで56日分が終わり、診察日に処方してもらって56日分の初回が夕食後からになるという訳だけど、振り返ってみると薬をちゃんと飲んでるのだなぁ〜。
一昨年の不飲騒動から、薬局の薬剤師さんが「薬をちゃんと飲むのですよ」と薬を受け取りに往ったら必ずおっしゃるのだけど、*「チャンと飲んでいます」*と今度は言い返してみよう〜。^0^)
 (ハハハ、楽しみ〜楽しみ〜!)

いろいろあった新年一月でしたが、もう明日からは月めくりのカレンダーが二月に・・・・。
絵はがき教室が休講になったり大島病院往きを前倒しで受診したので柳井医療センターが二回と歯科が一回そしてコロナワクチン接種で総合文化センターへとで出島が四回で済みそう。
でも、室津の家が留守が増えてしまう。三男が帰って来る様だったら出かけなければ・・・。

山口県内のコロナ感染が昨日は383人だったとか、早く収束して欲しいですね。
















コッコーの争奪戦;
「ヒヨドリがきてますよ」と家内に応援してもらっても
負けた戦い?でしたが・・・・今年も〜


1月30日:第2報
昼前、処方されている薬を室津の家に置いて帰島してたので、意を決して取りに往きました。
冷蔵庫の食材が残り少なくなってしまってたので、スーパーに行って購入して、それに先日来の雑品をも船に積み込み帰途に〜。夕日が落ちる前に鼻繰島まで帰って来て携帯のカメラでパチリ、風波に悩まされること無く帰島出来てラッキーでした。







1月30日:晴れ
次第に凪いで来たのですが、戦意が湧きません。
海岸通りに立ちますと寒気に足元から包まれて戦意喪失しては後戻りしてしまいました。
昔も寒かったかな〜と知人に声かけたら、以前から冬は寒いのです〜とニヤリ。
〜気合だ、気合だ〜と叫びながら往ってしまいました。 ><;)

飲み薬が無くなって〜室津に置いて帰ったので〜取りに行きたいのだけど腰がなかなか上がりません。以前薬が手元に無くって三日抜かしたことがあったのですが、体調不調を起こしてしまってDr.薬剤師さんに怒られた?ことがあるので、今日も明日も風波は治まってる見たいなので、自船で出かけようかと海面とニラメッコ。
コロナの蔓延が迫って来てるので島外に出たくないのだけど、冷蔵庫の食材も無くなって来たし〜と気持ちを後押ししています。








ヒヨドリは、猫も私をも警戒しますが、私が引っ込むとアッという間もなく
ご覧の通りに綺麗に食べられてしまいました。





1月28日:晴れ
海は凪ぎのようだけど良く見れば遠くは白波のようです。
〜寒い〜言わなくてもよいのに、ついつい口から出てしまう。
で、昨日の庭木の剪定の続きをしようと思いながら、寒いので昼までストーブの前でゴールキーパー
?をしてしまった。ちょっと早い昼食をしてから〜と思いつつ更新が進まない。

良く考えたらご飯を炊かなくってはなりませんでしたし、洗濯物を干さなければ・・・・。 ア〜ァ><;











1月27日:晴れ
冬至から一ケヶ月余、定期船の出港時刻頃はまだ暗い。目覚めて布団の温温から抜け出す時はちょっと勇気?が要る。
今朝も起きかけて壁の時計を見て、机上の置時計を見てやっと起きた。 ^0^



第一便



第三便



1月26日:晴れ
昼前にお墓参りに出かけました。眺める景色は変わらないのですが少し時間が有ったのでゆっくりボンヤリ・・・。
それにしても次から次へと用事が出来て来ます。完璧には出来ないまでも遣り残さないようにと思うと気が急いて来ますが、自分でやらなければ溜まってしまうのだと思うと気が重くなります。

身の回りを整理して置きたいのだけどなかなか捗らない。思い切って捨てようと取りかっかっても、残すものが多くって、ただ右から左へと移動させただけになってしまって、ア〜〜と溜息が出ただけになって、こんなことでは終点がみえないなぁと溜息!。
皆さんは、いかようにされておられるのか〜?、ある人に先日聞いてみたら「捨てる〜」と一言。
エ〜ッと驚いたら、「その心算だ〜」と。側に居られた奥さんが、「偉そうに言うけど口ばっかりだから心配しないで」とニッコリ。じゃぁどうなることかな〜で、チョンに〜!。










1月25日:晴れ
バイクの調子が悪いので友人の名工に手直ししてもらいました。動かなかったのが快音を出すようになったのだからすごい腕前だ、充電を兼ねて三浦湾までドライブ?!。
ところが、晴れていたのに風が冷たくって、途中でやめようとストップしたのだけど、しっかり充電しておかないと明日困るよと独り言、気を取り直して三浦湾の終点まで行きました。

着いたら何とブタさんがお出迎えしてくれました。周りには枯れ草ばかりで「ごめんね」とわびたらブーブーとも言わないで向こうに〜。せっかく寝転んでいたのに私がバイクを止めたばっかりに起き上がったのにと、自分なら文句の一つは言わないと納得できないなと思い出したら、なおさらに気の毒になって、で、「次回には持ってくるからね」と言っても振り返りませんでした。 ><;)







1月24日:晴れ
朝の内は曇ってしかも西風が強く吹いて寒いのですが、昼前頃から次第に青空が広がって来て陽に当ると心なしほっとします。春の足音が次第に近づいてきてるのかな〜。











1月23日:晴れ
昨日第二便で帰島しました。
コロナ感染が広がっているので、万一感染しては大勢の皆さんに迷惑かけるので慎重に慎重にと注意をしてるのですが・・・・。

19日には周防大島の大島病院に行きました。
出入りされる患者の皆さんは、手洗いが徹底されていて丁寧に手を洗われるのには感心しました。













1月18日:晴れ
第二便で出かけます。明日、明後日とお医者さんで診察を受けます。
余り島からの出入りを繰り返さないようにとまとめて予約をしました。









1月17日:晴れ
今日は北西からの寒い風が遠慮?しないで吹き付けて来ます。
体が訛ってしまったのか寒くって重ね着もいいところで5枚も下着を重ねているのだが、それでも寒さを感じて、エアコンと空気清浄機と電気ストーブと新顔の蒸気噴霧器が狭い6畳の間で(大)活躍中です。温まったのか眠気がしてしばしウトウト〜。見ればAM10:00、何故か最近10時頃になると眠気がして来て、雑誌を読んでいたら、良質の睡眠をしてない〜という項目があって、ん〜です。

なんて、ボンヤリしてたら北朝鮮がまた打ち上げて花火遊びの心算か、弾道ミサイルとか。
ヘェ〜と言ってたらトンガがまた大噴火したという。
海底火山の噴火で津波だとは〜、遠くほど大きくなり高くなるという困った現象。
これにコロナの追い討ちでは、自粛だけでは対処出来ないのかも。

通院の間隔をのばしていても、2ヶ月・3ヶ月に一度は診察を受けなくてはならないと思うと気が重くなる。名案は浮かばない?。

気分転換に雲の観察。雲の流れが速い。次々と変わって行くので退屈はしない
のだけど”寒く”なって来た。 ><;)













1月16日:晴れ
晴れ間があるのですが雲が優勢で、雨雲のようなのでやがて「風が強まり一雨来るかもしれない」ようです。ちょっと不安定な大気にまたなって来ました。

不安と言えば”最近の地震のニュース”。
今朝も起き出して何時ものように体調測定をしようと思って”定位置に”。
そしていつもの様にテレビをオンにしたら、飛び込んできたのが「つなみ!にげて!」の大文字。
「トンガで爆発地震が有った。津波の心配なし?!」というテレビのニュースを見て昨夜は床に入ったので、アレッ今度は何処だと注目したのでしたが、予想が外れてはるばる南太平洋から津波が到達したみたいで、NHKさん得意の中継放送中でした。繰り返し繰り返しの画面に呆れながら見ていたのでしたが、岩手県沿岸に津波3メートルが到達した。奄美・トカラも津波警報で1b越えの津波だという。この辺りも20〜30aくらいの上昇があったかも知れないけど、その位ならまぁニュースにはならないが、寝入り端だっただけにこれから万に一つの3b級の津波が来たらアウトだなとちょっと反省。


















1月15日:晴れ
風も無くベタ凪ぎの状況ですが、薄雲が広がっていてやや寒い刻が流れています。
コロナ禍最中の山口県、ここのところ過去最高の感染者数を連日発表していますが、余り自慢にならない数字なので、関係者の皆さんの心中察して余りありますね。

昨日上関町に感染者1人の数字が出ましたが、今日明日と続かないように祈りたいと思います。
自分も通院先が複数あって、出来るだけ間隔を開けてくれてますが、それでも行く先が多いので週一回は出かけなければなりませんので、感染が怖いですし、一人暮しになって余計心細い日々です。

今日は神明祭・どんど焼きが行われる予定です。例年参加していろいろお世話しましたが、今年は’忌み’があるので次第を尋ねられたので指導はしましたが、参加は遠慮します。
いつも強風でよく悩まされましたが、今年は風も無く絶好のどんど焼きの日となりました。










1月10日:晴れ
今日も小春日和で風も時折で、先日の寒波が嘘のようです。でもそう言いながら青空を眺めていたら見慣れぬ雲が出現していました。今夜から天気は下り坂で雨も降りそうな予想が出ています。
やはり上空の大気は次のステップに入ってるかの様です。
こんな良い天気なのに漁船も係留したまま・・・。

「出ても釣れない、カゴにも何も入らない」という。タコが品薄のなってしまって回復は神頼み〜とか。
寒タコの壺を入れる時期が来たのだけど、なかなか動きません。取れても少量では品高でも費用にならないという珍?現象。困った時代になりました。今まではどうして沢山に収穫しようかでしたが、今は出来るだけ程ほどに獲って長く漁を続けようというやり方になってると、二、三日前にNHKでそんな特集をしてましたが、水産物の水揚げが日本は激変というよりか激減少だという。
静かな港内、エンジン音も漁師さんたちの大声の会話も聞こえて来ません。

明日、明後日とお医者さんです。三便で出かけます。
 pm3:00









1月09日:曇りのち晴れ
見上げると薄く雲が流れ、静かに刻が流れてました。
晴れの予報だったがと思いながら布団干したかったのにと時々天を仰いでたのですが、昼近くなって急に日差しが強まって、ラッキーとなりました。火曜日と水曜日に診察の予約を入れているので出かけねばならないので今日なら良いのにと〜、希望が叶いました。ヤレヤレ〜。^0^

















1月08日:晴れ
快晴の日差しが続きます。北海道、北陸は風雪に悩まされているようですが・・・・。こちらは来週火曜日頃からまたまた荒れそう見たいですが・・・・・。
皇座山に雲が出現したので北東風が強まるのでは〜と身構えましたが、そのまま収まりました。












1月07日:晴れ
今朝も朝焼けが楽しめました。
北西風が吹かないので、屋上に上がっても何時もの寒気風でないのでノンビリ?風景が楽しめます。
東京は積雪でお気の毒です。と言っていたら山口県・広島県ともコロナが蔓延してきました。
収束はまだまだ先のようですので、ここが正念場かも〜。















1月05日:晴れ
昨夕(4日)祝島に帰りました。
寒かったし、何か疲れてしまった感がして、昨夜はとうとうボンヤリ〜で。

今朝は早めに目覚めましたが少しノンビリ・・・・。
「そうだ、日の出を〜」と屋上に上がりました。長年の西丘の”定位置”に上がる意欲が湧かなくって、近く?の屋上での撮影になりました。
驚いたのは陽を中心にして上下に陽光が〜、余り上手く撮れてませんが〜?、
薄く〜ですが光の帯が上下に感じられ、これは’目出度い’と、嬉しくってパチリ、パチリ〜。




















1月01日:晴れ
新春が幕開けしました。

上関大橋上では初日の出を待つ大勢の人たちが待機されてましたが、その様子を下から撮りたくって
長島(上関)に渡りました。
少し雲がたなびいてましたが、期待通りの綺麗な日の出でした。
”どうか、幸多かれ〜”と気がつくと手を合わせてました。
”皆々様へも〜〜”



















12月31日:晴れ
令和3年(2021)、橋部好明にとっては忘れ得ない年の大晦日になりました。
何よりも体験したくなかった妻との別れ、「それも死別という」ドラマでは無い現実の出来事の中での体験だけに、世の無常を悔やみながらの舞台での幕を下ろすという辛い役割で終了しました。

二度と演じたくない、演じることも無いドラマが終わりました。
来る令和四年(2022)がいかなる舞台であろうとも、明日からの舞台がこれまでの八十年間を上回る気魄で対処できるだろうか〜。傍にいなくてもゆうわ苑に行けば、病院に行けば会え得たのに、声にならなくても私を確認してくれて、眼を見開いてくれた妻の顔が、いくら遺影に話しかけても眼はもう動かない。 〜ア〜ァ!〜、紅白で賑わうNHKの終了を待たず早く寝ました。

何はともあれ、この一年間皆様からいただいたご厚情に心底から感謝申し上げ、明日から歩むドラマがどう展開されるのか、無の世界から目覚められることを祈りつつ眠りに入れたらと〜・・・。


とうとう、渡航が第二便となりました。
ここ数日の荒れた海。黙々と定期便を運航された
乗組員の皆さんに感謝しつつ〜。


12月30日:晴れ
青空ですが寒気に伴う流れ雲に覆われると体感温度がグッと下がります。クリスマス寒波が年末年始へと続いています。強風は相変わらずですが寒気は居座ってしまいました。
知人に頼まれた薬を届けるために、昨日は三便で帰島。
室津に今日は二便で帰る予定だったのですが用事が終わりません。

三便で渡ろうと急いでるのですが、なかなか捗り(はかどり)ません。
海は大時化で、良く欠航にならないものだと〜、船長さんたちの意気込みに感謝です。
二便は後下がりで出港しました。













12月28日:晴れ
やっと強風が静まりました。ホント良く暴れました、良く吹きました。治まってヤレヤレです。
海の事故はありませんでしたが、山の遭難が有りましたが、仕方ないとは言えませんが連れの方たちは辛いでしょうね。










12月27日:晴れ
「濾水でしょう?。水が道路を横切っていますよ」と通行中の人が教えてくれました。
屋上に駆け上ってみると異様な風景が〜広がっていました。「数年に一度の大寒波」というはずです。
天日の温水施設から溢れ出た水が、折からの強風に舞ってプランターの草等に纏(まつ)わり付いて氷って、”霧氷”に〜。愛でるよりかまるでソーセイジみたいなので笑ったのですが触ってビックリ、素手だったので「痛い」と大声を出してしまいました。写真をとカメラを構えたのですが、なかなかシャッターが下りない。ビックリでした。
次に驚いたのはすぐ電池が無くなってしまう。良く見ると足元が滑る。変だなあと注目したら屋上も凍っていて’アイスリング状’になってツルツルに〜、良く滑らなかったなぁ〜と。大股で歩いたら滑って大怪我?をするところでした。
私は零下の経験が記憶に無いので、多分それ以下だったのかも、手指が強張って来たので屋内へ。

軍手でも良いやと現場へ、でも軍手ではシャッターが上手く押せないのではずしたら、すぐに手指が痛くなって、”ヒヤ〜ッ”と悲鳴で慌てました。


直径2〜3ミリの細い茎に付着した氷が後から後から重なって1センチ余のソウセイジ状に〜。



















12月26日:晴れ
予報通りの海上状況です。大型の自動車運搬船は、少々の風波はものともせず直進です。
インド洋、太平洋を平気?で行き来するのですから、この位は細波〜?。
夜明けと共に西進して行きました。













12月25日:晴れ
白波が海面を覆っています。
寒波が後押しをしてるようなので、この辺りまで雪が積もるかも〜そんな雰囲気です。
足元から寒気が上がってくるかのよう。ちょっと大袈裟かな。

オミクロン株が東京でも市内感染者が出始めた。外国のように爆発的に増加しないのは日本人の特異な体質が関係してるという指摘が出てるようだけど、サテ〜?!。













12月24日:晴れ
大きな雲の固まり〜、その上を強風が吹いてるようです。
明日から、またまた強風で大時化のようです。




12月23日:晴れ
ほんの数日前の冬の嵐と今日の穏やかな小春日和〜、片やコロナ旋風が何時治まるのか〜
オミクロン特異株が英国で非常事態となっている。やがてはニッポンでも大騒ぎにならなければ良いが、そうは問屋が卸さないだろう。困った事態が迫って来てるが今一緊張感が見えないけど、一体どうなるのだろうか。

眼に見えない相手にどう対挙すれば良いのか、神頼みって言う手段が通用してもらえないのか〜?。
昨日も今日も定期船の乗客が増えてるようだけど、誰も用事が有るのだから規制は出来ない話かも〜〜?。




















12月18日:晴れ
眼が覚めて、起き出してみると風の音が余りしないので〜一便は来るかなと支度して待っていたのですが、〜残念でした欠航。
昨日まで、お悔やみをいただいたところにお礼状を出していたのですが、それの後片付けしたりフォト情報の更新をしていたら11時を回ってしまいました。
句会は欠席で止むを得ないのですが、室津の家の片付けと千葉の次男の所にクリスマスプレゼントを送るのがまだだったので、ヤッパリ二便で出かけましょう。

風は凪いで来たと思ったのですが沖は白波です。自船では無理なので定期で出かけます。











12月17日:晴れ
第二便が到着直後突風が祝島港に押し寄せて来ました。AM10:49でした。
その様を久し振りに直視しました。風が海水を巻き上げて、辺り一面がしぶきで霞みました。
しかも風の固まり?が壁に当るとズシン、ズシンと家を揺するかの様でした。

明日は総合文化センターで俳句会が開催されますので出席したかったのですが、いきなりの雨風に
びびってしまってあれよあれよと言ってる間に風も更に強まって諦めました。

三便は就航するかなと心待ちしてたのですが欠航となって、「じゃ明朝の一便でとまぁ仕方ないナ」と諦めた次第でした。




もう少しでバランスを崩しそうでしたが・・・・。
強風の中西に向かう船が何時もよりか多いなぁと思ったのですが・・・。





12月16日:晴れ
さすがに風も治まりましたが、冷たくってカメラ持つ手がブルブルと〜。
でも東の空の雲も去っていて、写真撮るのには好都合で思いっきり撮っちゃいました。





















12月14日:晴れ
一昨日からの北西風は昨日も一日中良く吹きました。さすがに今朝は治まって来ましたが見上げると雲優勢で所どころ黒い雲も流れています。

ところが見る見るうちに雲が移動して、今度は青空が空いっぱいに広がって来ました。
やはり晴れ渡ると心が明るくなります。それこそ、青空バンザイ!です。

午後落ち着いてきたら、先日入れて見た「雑魚かご」引き上げてみましょう。
多分「砂フグ」の小々が少々でしょう。(判りますか〜ハハハ、)




山肌は冬モードです。








12月12日:晴れ
そろそろ北西風が強まる頃だと朝から身構えていたのでしたがなかなかやって来なくて、’いわい’第2便が着く頃からじわじわと波立って来ました。何度か体験しましたが突風が迫ってきた時は、それこそ一転空がかき曇り、白波と突風が一気に迫ってきます。
以前鼻繰島で釣りをしていたら古老が船を寄せて来て、「姫島の上に雲の固まりが出来た。船の周りが波立って来たから突風が来るぞ。早く帰れ〜」と。見渡すと近くの船が祝島に向けて黒煙上げて走り出してた。
冷や汗かいた思い出があるけど、最近は無いな〜と思ったら、予報が当らないのは下関測候所と揶揄されていた頃がありました。当時中国大陸の測候情報が無かった?。気象衛星が打ち上げられて精度が上がって予報が的中するようになって汚名返上されたけど、祝島の古老の予報の方が良く当ってたという、信じられないような時代が有りました。
昭和時代の定期船の船長さんがラジオの測候情報を聞いてはいろいろ判断されていたけど、関門当たりの風雨波情報が4〜5時間後頃に祝島周辺に現象される〜と。だから私は今も下関の風速等を聞いては判断情報にしています。 ^^;)














12月11日:晴れ
集落の反対(裏)側にアナゴカゴ入れてみたのですが、”ん〜!”でした。





左から小祝島(こいよう)・孫小祝島(小島・ライオン島)・千丈岳

12月10日:晴れ
’いわい’第2便の出港時の室津港です。






12月8日:晴れ
防波堤付近は凪ぎの様相だったのですが、次第に波立ってくる気配です。
港内の細波が西寄りからになって来ました。高気圧が日本海に入ると祝島は北東からの風波に
なります。少し南を通過すると穏やかな小春日和なのですが・・・・。

昨日お医者さんをキャンセルしたので出かけたいのですがコロナが怖いですね。インフルエンザは来週の予定なので今週出かけておきたいのだけど、何故か気が乗らない〜?。















12月6日:曇りのち晴れ
夜明け前からヤマジ(山路?)が張ってた。〜祝島の山を越えて北東方口に雲が流れ出ると突風が来て時化になるという。〜そんな雲行きの空模様でした。昨夕に半年振りくらいにアナゴカゴを入れてたので出漁を躊躇したのですがなかなか突風が来なくって、思い切って出漁、多少風の卵が来ましたが何とかカゴを引き上げて〜ヤレヤレでした。が、全くの不漁でがっくり。エサにするサンマが不漁でエサに回って来ないのでカタクチイワシを代用したのですが、余計アナゴに嫌われました。><;)











12月5日:晴れ
先日来の北西風が緩んで久し振りののどかな?朝です。ゆっくりと明けて行きました。















夕焼け〜時、夕日が差して赤く染まりました。


祝島の影が上盛山の下半分に係ってました。


かんぽの宿の体育館に夕日が当って輝いてた〜?。





12月4日:晴れ
恒例の行者堂の注連縄作りに参集してもらいました。北西風が相変わらず吹きつけてきて体感温度を下げてくれました。夏なら歓迎ですが寒気がしてちょっと困りましたが、皆さんは平気な顔でした。
歳の差を感じました。><;)

作業は慣れた手順で順調に進み、取り付けも予定通り出来ました。例年早くやらなければと師走の忙しさにストレスを感じるのでしたが、今年は早く出来てほっとです。













誰かさん、すっかり年寄り気分になりました。悔しいけど皆さんは若ぶり?!。







12月2日:曇り時々晴れ
12月になりました。
昨日はまさに暴風雨で定期船も朝昼夕と欠航でした。私も帰島したかったのですが駄目でしたので、今日は昼便(10時30分着)で祝島に帰着。
人だかりしてるので良く見ると体操服の小学生が〜。周りには大人達、聞けば校内持久走だという。
風も柔らいていてナイス・コンディションで応援組もニコニコしてました。
「ガンバレ!がんばれ!」でした。















11月24日:曇り時々雨のち晴れ
ゲリラ大雨でビックリしたのですが、替わりに青空が優勢になりました。が、寒さが増して来た〜?。

西風になったからか白波が牛島近く、祝島から遠くなっていたのですが北寄りになったみたいで次第に近づいて来ました。風も〜。

昨夕には出かける心算で支度して、出かけようと玄関戸を開けたら突如風と共に雨が土砂降り?になって来てビックリ。傘もさせなくって、断念”!。それにしても竜巻ではなかったのでしょうが突風?みたいでした。
意欲を失いました。もうちょっと’様子見’します。

            こちらは雨なのに対岸は日が差しています。













11月23日:曇り時々雨
雲が覆い被さって、しかも北西風が強く吹き通して白波の大時化です。
冷たい風の所為でしょうか、体感温度はかなり低く”寒い〜”風を避けて、とうとう終日家の中で過ごしました。
室津の家で仕掛けた用事をしたくて、三便で渡ります。追い波なので揺れは大丈夫ですが乗船までが少し寒いですね。大分厚着で出かけることにします。



昨日から線香の煙が’ユ〜ラユ〜ラ’と
立ち昇ります。何故〜?。墓地に納骨したから〜?。




冴子がお気に入りだった博多のどんたく人形、少し寂しい表情に!?。

写真左は遺影、右は50歳の時。

11月22日:曇りのち晴れ
前線が通過とかで朝から三時ごろまで小雨が降り続きました。
北西風も時折強まって晩秋から冬への使者だという声も聞こえました。
百ヶ日忌法要も納骨も滞りなく終えてホッと〜、気がつくとボンヤリと流れる白波を眺めていました。




11月21日:曇りのち雨
〜”百ヶ日忌法要”〜
長男や次男が帰宅して、それに親戚、近所の人たちも参列してくれて冴子もビックリしたかも〜。
雨が心配だったのですが降らず、風もおだやかでゆっくりと別れを告げることが出来ました。納骨も済ませて帰ったのですが残されていた遺影がポツンと寂しげに〜留守番?をしていました。
しばらく座り込んだのでしたが、従兄弟の声で ”そうだ、子供らが帰っていたのだった”と気を取り直したのですが、昼食のお膳懐石が美味しそうなんだけどなかなか手が出ませんで、「一段落したのだから一杯飲め」の声に気力を呼び戻しながら、しばしの刻が流れました。
今日は8月17日から凡そ百ヶ日。次は一周忌で来年8月まではお墓参りをします。

約25年間の冴子は闘病でしたが、良く頑張ってくれました。愚痴ひとつこぼさないで耐えてくれたので、今に思えば〜辛かっただろうなぁ〜と・・・・。
「子や孫らのためにも身体に気をつけて長生きをしなさい」と皆さんが言って下さる。
・・・・どうしたら気力が奮い立つのだろうか〜?。










11月20日:曇りのち晴れ
穏やかな天候〜、明日の法事の準備も捗り感謝!!〜。










11月19日:曇りのち晴れ
日の暮れを待ちかねてお月様が東の空に・・・。月食と言うことで海岸通りにも人影が〜。
ウッスラと見えてきた時はまだ暗くなくて、で、月探したのでしたがなかなか見つからずしばし???。
宇宙の神秘を感じいりました。私達は自然崇拝を深めなければならない〜と言われ始めて久しい。
’科学は万能だ’といううぬぼれが地球温暖化を招いたのだと言うのは言い過ぎだろうか。










 11月18日:曇りのち晴れ
穏やかな天候〜、風景も何となくのどか〜。







 11月17日:曇りのち晴れ
ちょっと風が冷たい。何となく肌寒い〜!。








 11月16日:曇りのち晴れ
青天が広がってきてます。が、北西風がやや強く寒気が身体をしばり?ます。










                ご苦労様!。週一回の集荷になったからかちょっと多いですね。

 11月14日:曇りのち晴れ
すっぽりと雲に包まれていましたが昼前頃から青空が広がって来ました。が、寒い〜!。

ここ数年の年賀欠礼の通知はがきを閲覧してみると毎年30枚前後の通知が来ています。
私は欠礼の通知はがきを長年分保管している。ここ数年分だけ見ても、読み返してみるといろいろなことが思い浮かび懐かしい〜。
昨年の着信の年賀状も確認。亡妻が親しくしてもらってた方が多いのにちょっとビックリ。
今年は欠礼のお詫びをこちらが出す側。このはがきを手にされてのお心を想うと感慨深い〜。

早くも?亡妻の法事、「百ヶ日法要」が近づいた。千葉住の次男は帰れないが、長男と三男は帰島すると連絡が入った。コロナが下火になってヤレヤレです。












 11月13日:曇りのち時々晴れ
寒気の噴出しで雲が次々〜と。
雲の白さと青天とのコントラストがとても綺麗でした。けどもなぜか寒くって急いで室内へ。
その繰り返しでした。







 11月12日:曇りのち時々雨や晴れ
島での用事が出来て、二便で帰島しました。今日は北西風が強く吹いていて鼻繰島から大きく揺れてしぶきが大分船体を洗いました。
夕方になってもなかなか強風が治まらず写真の三便が写真を撮るのには良かったのですが、乗客の皆さんは揺れに、船長さんは操舵に注意されたかも〜
所どころ青空も出現するのですが、すぐに大きな雲の固まりが太陽光をふさぎ寒い一日でした。
明日は和らぎそうだけど・・・・。

 















 11月10日:曇りのち雨
雲が優勢でうっとうしい天候です。
でも、降りそうでなかなか降ってきませんが雨雲が低く迫って来ました。今度は本降りかも〜。
PM3:45、雨で本州が見えなくなりました。
三便で出かけなくてはならないので、”ん〜”ですが仕方ないナと諦めです。














 11月09日:曇り時々雨
風が北西から寒気を運んで来ます。薄い上着だとスースーするのですが着替えないで、エアコンの温度も昨日の設定のままで頑張っています。何で〜ぇと独り言。???
素直に動けば良いものを〜、何だか大儀なんだ〜そうです。

今気づいたのですが、温度設定が冷房29℃でした。><;)








11月7日の雑石瀬戸(平生町)の日没。物好きな?カメラマン、ウーマンが10人ばかり・・・。








 11月08日:曇りのち雨
ちょっと長く室津で過ごしました。更新出来てなくって申し訳ありませんでした。

夕方は”雨だ〜”の予報でしたので、慌てて二便に乗りました。慌てましたが忘れ物はありませんでした?。 (ホントかな〜?!)〜(^^)    やはり、午後からは雨で久し振りの雨音がしています。
南東の風なので、私の家は台風でも網戸で居れるくらいなので平気なのですが、背後の山の樹木の枝葉大きく揺れています。せっかくの紅葉が落葉してしまいそう。
 
 先日苦吟した一句。 俳句会で頑張りました。
  紅葉(モミジ)映え  名前さ迷う  八十寿(ヤソジュ)道  
             
 先日、せっかく綺麗な人に出会えたのに名前が浮かばなくって〜   ” ん〜〜! ”







風が強まって、ヨットが猛スピードでーー。アッと言う間に通過しました。





 11月01日:晴れ
荒天の日を思い出そうとするのですがちょっと浮かびません。北海道は良く荒れていますが、引きかえわがふるさとは好天続きです。

選挙シーズンは自公が大勝利でしたね。
NHKのニュース登場の各党首、おっしゃることは有権者の心揺さぶる名文句の序列ですから優劣簡単にはつけられませんが、見栄えの方は一種のコンクールですから、その順番で当選者数が出たように思えるのですが・・・・。伸び悩んだ立憲さんは、事あるときは頼れそうですが何時も強面だったことが親しみにブレーキだったのかも〜。自公さんは悪役?が隠れてしまって良いことばっかりで〜。








       2021年(令和3年)10月31日までの出来事は「あしあと」でご覧下さい。

 
 現在、瀬戸内海を見渡した時、かつてこの下に、大草原や湖があってマンモスゾウのファミリーが悠々と闊歩していたという話、にわかには信じがたいかもしれません。氷河期から暖期へと悠久の時が流れ、いつしか草原が海となり、高い山々の一部が島となって、多島美を誇る瀬戸内海を形成しました。
 やがて、黒潮が豊かな自然の恵みを運び、素晴らしい大自然を私どもに提供してくれました。この良き環境を後世に伝承することは、今を生きる私どもの大きな責務だと思います。
 この祝島も、貴重な遺産の一つ。今一度島内を巡り、祝島を写真で順次紹介してまいりたいと、ホームページを開きました。
(橋部 好明)

リンク
「祝島ホームページ」
おらがホームページ(多趣多芸の木村先生の日記は面白い)
祝島市場ホームページ(特産物関連のニュースも沢山)
         

 
上関町今日明日の天気
山口の雨雲の動き(レーダー)



 
 2024年 神舞
今までの情報は荒神を押すと
リンクしてますので、どうぞ〜!
(2021/11/01) 情報を更新しましたらお知らせします。

あしあと 花の写真集 神舞の話
更新2021/11/01


2016年(平成28年)
更新2016/6/18
英文あり



アイコン
今月のフォト フォトギャラリー お話あれこれ
更新2012/03/24 更新2020/05/30

2022・05・24:撮影
2022・05・24:撮影
遺したい 祝島の
草花




二階の窓から

コッコーが開花しました。
静かな朝でした。





サテ、ここは何処でしょうか?  (05月22日)



↓ こちらはブログ覗き窓です ↓
更新しました。ご覧下さい。(2022・03・12



5月24日:晴れ
今朝も平穏な朝でしたが、いつもよりか赤く焼けました。
二、三日先に一雨あるようなのでその予告かな〜。

いつも遅れてしまう庭松の新芽きりを昨日から取り組みました。
伸びてるのを切り取るので余り考えなくても良いので仕事としては手早に出来るのですが、半月ばかり後でするのが良いのですが、押し迫ると雨にあったり用事で出かけたりと上手く日程が合いませんので、がんばりました。

こうして腰掛けて作業していると、足首辺りが痛くなり、かまわず動かしていると膝の裏側が痛み出し、足の付け根まで上がってストップ。何故か判らないので明日は整形科に行って見ます。

今日で三日、ガマンできず痛み止めを飲んでるのですが、何で〜なんで〜?。
用事も出来たので二便で渡っておきます。







5月22日:晴れ
平穏な朝です。雲ひとつも無い五月晴れ〜と言うよりか夏の明け方でした。
それに誘われて、久しぶりに日の出を撮りに出かけました。
朝陽の出が皇座山にかかっていました。あと一ヶ月で夏至なのですから、もうこんな位置なんだなぁと独り言言いながら、あれこれシャッターを押しました。

カレコレ一時間、今までは帰宅すると味噌汁が出来ていて「ハイ、お帰り〜」と迎えてくれた冴子は
遺影となってニッコリ?。”ん〜〜!”
ついこの間までは目覚めたら日の出前に集落内を歩き回ってたのになあ〜と悔やんだとてもう帰らぬ話。撮り溜めた写真が30万枚越えてたのは三、四年前だったのだから今はは相当数?!。大区分をして置きたいと思うのだけど、まだそれに熱中できない。><;)
今まで使ってた「デジカメ同時プリント」を新しいアプリに変更したいと勉強?するのだけど、「手なれた同時プリント」が手離せ無い。残された時間は少ないのに・・・・。

まっ、グズグズ言わないで、「しっかり歩きましよう!」とお医者さんに指示されているので、ここでストップして〜。

















5月21日:晴れ
沖縄や奄美は大雨だ、太平洋側は雷にご注意を〜と今朝の天気予報。
前線の活動が活発になり南九州を巻き込みそうになりました。やがて前線が北上して来て九州中国地方の豪雨災害ニュースが主役になる日も近づきました。
暑いな〜と振り返ってみると室内温度が27℃でした。真夏日で悩まされる日も近いのでしょうね。









5月17日:晴れ
今日は晴れる予報だったようなのに曇り空が広がっています。



室津港と皇座山


5月15日:曇り〜
今日は晴れる予報だったようなのに曇り空が広がっています。

心地よく泳いでいた鯉のぼりもお役目を終えて退陣したようで電柱がやけに目だって来てます。
やがて入梅が近づき今度は雨に文句つけてはブツブツの番になるのかなぁ。

手元に写真がないので、先日撮った祝島港と海底の写真です。
スマートフォンのカメラが機嫌が悪いのでこれから柳井のドコモ店に行って見ます。







5月14日:曇りのち晴れ
たっぷりと降った雨、あとに広がった薄雲がさらに次第に薄くなって来て、皐月の青空が広がっています。







5月11日:小雨後曇り
小雨がシトシト〜と降っていましたが次第に明るくなって来ました。
室津の二階の北側の窓を開けてパソコンデスクから顔を上げると
北東の窓半分を皇座山が占める。
先程から頂上付近をゆっくりと霧が通過しています。


 

一便の’いわい’、雨の中迎えに祝島へ向け出航した。



5月09日:曇り
五月晴れを期待しているのですがどんよりとしたままです。
身体がだるく更新に集中できません。今朝ほどからPCに向かうのですが気が散ってしまって立ったり座ったりの繰り返ししています。

不在が長引いてしまいました。三男が帰って来たのですが室津に留まりました。
墓参りを〜と思ったのですが、感染騒動に巻き込まれては大変なので、室津でゆっくりしようと思いながらも、UVカットのカーテンに取り替えたり、苦手のすき焼に挑戦してみたりであっという間に終わりました。
帰りは下松まで迎えに行ったのですが、行きは田布施駅までで見送りました。
帰宅してみて、’ひとり生活’に戻ったのですが、ヤッパリ孤独感に胸が絞めつかれました。

昨日帰島したのですが、海岸通りも人通りは稀で曇ってると余計寂しい!。

やっと更新しました。長く引っ張って申し訳ない。途中室津宅で更新作業に取り組んだのですが後一歩まで〜になったのですが、OneDraiveが勘違いになってしまったようで・・・・。














5月02日:晴れ
連休の人出を誘う放送が繰り返されている。
感染者が多いのに経済が大事だという説、強いて反対では無いけれどもなんだか矛盾を感じてしまう。「捨てるのもったいない〜」言ってる事は理解してる心算だけれど縮小する努力も要る話のような気がする。
戦争で使うのとは話が違うけど、弱者救済のためとはいえ、赤字国債の顛末は大丈夫なのだろうか。






↑ 室津港、後ろの山は皇座山
’鎌倉殿の13人’  来週は早や壇ノ浦合戦。
義経の印象がただ戦好きというのも何だかしっくりしないけど・・・・。
安徳天皇がこの山を越えて下関へと下って行ったと言うのも
清盛と頼朝の生き様から想えば哀れですね。


 5月01日:晴れ
五月に入った。
大型連休、ゴールデンウィーク〜と一斉に出歩く佳き時代があったけど、子ども達と旅行を〜することも無く過ごしてしまった。三年前結婚50年と言うことで子供たちに祝ってもらった後、家内の病状があれよあれよと言う間に進行して、近くでも良いからと思い出したらコロナが流行って、とうとう・・・・。
勤続三十年で戴いた旅行券を書類箱から出したり入れたりを繰り返してしまった。
使わなければと思いつつも機会を失してしまった。

思えば今日は結婚記念日。無念〜!!。


      旧友人達からリクエストが有りました。
      目障りでしょうが、ご勘弁下さい。


最近、釣り好きが増えたとか・・・。






4月30日:晴れ
前線が通過して西日本は晴れ間が広まっています。日差しが暖かいので嬉しい〜!?。

二便で帰る予定が、室津のパソコンで更新してたら手間取ってしまって〜、><;)
写真の挿入が上手くいかかった。 何故〜?。


室津の橋部邸の二階遊び場?pcパソコン机からの皇座山↑ 

↓ 
海側の窓から平生町佐賀の光輝病院(右側山頂近くに〜)、左側室津港



この窓から〜、上関海峡の上り下りの船の動きが楽しめます。
道の駅駐車場も眼前に〜。





この後三便で帰島するので、花を飾ったら、”ニッコリ”。

50歳の時、二ヶ月余り入院して脊髄の手術して退院の日に撮りました。
こんなに元気でしたので皆さんビックリでした。


4月29日:雨のち〜
AM6:00頃から雨予報〜。室津は今日はゴミ集荷の日なので集荷場所に持って出て帰り道、顔に雨が当たった。帰宅して時計を見ればなんと6時を指していた。予報ピッタリだなぁと感心?した。><;)

それから降り出した雨が降り続いてる。少し小雨になった昼前ごろなんとなく明るさが増してきたので午後は上がる予報だったなぁと心待ちしていたら海峡が波立ってきた。
やがて西風に変わってザァ〜とスバエ(大雨が突風に乗って吹き付けて来る)が窓ガラスを揺らした。
そして雨が止み白波が消えた。寒気があれば二、三日大時化になるのだがもう春が来てる。
前線が通過したようで関東北海道あたりが大雨になるパターンだ。

午後二時、雲が忙しく流れるが次第に治まって来そうだ。夕方には雲が切れ青空が見え出した。

昼のニュースで沈没した観光船が100bの深海に沈んでいるのが発見されたという。
さすが自衛隊の掃海船だな。



東風が強いので白井田周りで〜。





4月25日:晴れ
「あれっ、曇ってる〜、晴れの予報なのに〜」と海岸通りで見あげてもどんよりとした空は無表情〜。
 ’ん〜 ’と言いながらテレビをつけたら「晴だ、夏日かも〜」という予報。誤診だな〜とブツブツ・・・。

まっ、とりあえず洗濯しておこうと準備して、スタート押して先ずは朝食を〜と台所へ。
食べ終えて洗濯機を開けて取り出そうとしたら、何だか変? 「あれっ・・・、濡れてない」。
再度押して、二階に上がってパソコンを立ち上げて見ても、天気予報は「晴れ」。???

何となく明るくなって来たなぁ、干す支度しようと洗濯機の前に立つと〜?。
開けてみれば濡れてるけど、まだ済んでないナ〜?。変な日だな〜と再実行。

 ”濃霧注意報”が発令されていた、だから霧に被われていて暗かったのだった。
その内次第に明るくなりやがて日差しも〜。洗濯物を干したら10時に。
何となく肌寒かった室内も上着を取って窓開けたら、なんと春風が流れ込んできて、ビックリ!。

「子供を救助した」とニュース。佳かったなぁと手を叩いたら、死亡確認と続報。 ><;)
3〜4℃くらいの水温では助からない厳しさ。

ウクライナも大変だけど、ニッポンのゴールデンウイークも水差されたかな。
コロナ怖くって皆が室内にこもったら、景気回復は後回し。
「ガマンだ、ガマンだ!」ではガマン出来ないところも出てくる。

明日はまた前線が近づいて来る。火、水曜日と通院予約、三便で室津に渡っておかなくては〜??。
明日一便で出かけると、ゴミ出しが出来るのだけど風雨予報なので中止になると待機しても意味が無いし〜なぁ。またまた ’ん〜?’。












4月24日:雨のち曇り
静かに降っていた雨が上がりました。いつもならすぐに西風が吹き付けてきて白波一色に変わるのですが、温みが経つと優しく平穏な刻が流れて行きます。

北海道の知床観光船、生憎の時化に遭遇して楽しい旅が台無しになってお気の毒ですが、海の怖さが油断すると牙をむき出してしまいましたね。
「19トン」の大きさだったようですが”一昔前の定期船せきれい”が同じく19トンでしたが、あの大きさでは3bの大波では抗しきれなかったでしょうね。テレビに映る巡視船が波間にすっぽり入ってましたから、底の浅い観光船ではどうしようも無かったでしょうね。海岸から打ち返す波は不規則で三角の高波になるのでお手上げだったでしょう。波にもまれるって(想像できないでしょうが)なかなか抜け出せません。私も何度か怖い目に会いました。
祝島の港外がベタ凪ぎで光ってますので、余計お気の毒です。













4月23日:曇りのち雨
薄日が差していたと思ってたら昼頃にはポツリポツリ〜と落ちて来ました。雨になりましたが海はベタ凪ぎという状況です。
昨日は春の日差しが心地良く日差しがもったいないので冬物衣類やセーターなど洗濯したり陰干ししたりしたので帰島が第三便になりましたが、日がまだ差していて日照時間の長くなって来たのにちょっとビックリでした。

山肌も新芽から若葉へと移行して来ました。刻は止まりません。









4月17日:晴れ
一日が経ち、夕闇の時間が迫って来ました。
昨夕帰って来たのですが、もう一日が経過しました。
早いなぁ〜と振り返って見たのですが、何をしたのかなぁという顛末。机上を整理して、間の着替えをと、取り出し始めたら、"冴子”の物が次々と出て来て、サテどうしようか〜と右に置いたり左に置いたり・・・。一枚ずつ見て行くとアッこれは〜、アッこれは〜で処分物が激減少、結局またにしようでチョン!となり、後日の仕切り直しとなりました。なかなか片付きそうも無い〜、~~;)

明日も好天気のようなので冬物を洗濯したり、陰干ししたりで〜。
押入れの箱の中、覗いて見たら諸々が有るので、悩み多い一日となりそうです。



















4月12日:晴れのち曇り
静かに刻が流れています。
〜春眠暁を覚えず〜という漢詩の文が何処からとも無く湧いてきます。

そう言えば漢詩の掛け軸がありました。午後整理してみましょう〜と思ったら二便で出かけなければならないことが出来ました。大急ぎで支度しなければと更新も簡単に〜。ご勘弁を〜。







花が沢山に咲きそう〜、蕾となりました。

4月11日:晴れのち曇り
天候は下り坂のようです。昨日までの青空が灰色に覆われて来てます。
まだ雨にはすぐならないようですが明後日頃から一雨来そうです。良く見れば木陰の花弁が心なし萎れた感じがします。そう言えば、雨は何時頃降ったのだったかナ〜?。



庭木の剪定をしました。







4月10日:晴れ
今日も穏やかな春日和です。

山桜も葉桜になったようで、霞みの山肌に溶け込んでしまいました。
レジャーボートが散見されますがノンビリと流しています。余り移動しませんが釣れないのでしょうか。

平穏な日差し〜、平和ニッポン、バンザイ!。
上関原発建設計画中の四代の田ノ浦湾、
ロシアの燃料資源を欲しがるよりか建設促進を〜なんて無茶な考えがあるとは思いもしませんが
ミサイルが飛んで来たら立ち向かう社員教育をしてるのだろうか?。













4月09日:晴れ
お天気は上々、昼下がりお墓参りを兼ねてウォーキング。
つい数日まえの寒波に震えた日々が嘘のような佳き天候で幸せを感じました。
冴子が元気だったら北野地区まで遠出なのに〜と思うと残念で。。。。

帰り道は西岡地区を回って帰りました。途中日向ボッコしてる人たちからお悔やみをいただきました。ここにも冴子ファンが居られたか〜と。世話になったというお礼の言葉、嬉しくもあり、またビックリ。

少し歩いたら親子らしい二人連れ、年長のほうは良く見かけるので話しながら、「息子さんか?」と聞いたら「弟です」〜。そう言えばスポーツ少年団の強打者兄弟だった。とうとう負け知らずで連勝だったなとか。試合の後のジュースが美味かったとかも。40年も前の話に華が咲きました。
そうだ、「祝島フォト情報見てますから続けてね」とも。100万回アクセスの上積み、頑張らねばと力をもらいました。

帰宅したら、今夜のおかずがご馳走が二つも届いていて、どちらも私の大好物。昨夕も届いて舌鼓を打って二杯も飲んじゃった。今夜も嬉しくいただきましょう。ありがたい話です。感謝!








4月08日:晴れ
二便で帰島しました。これまで何かとざわついていた海がおとなしく?、春本番の海面がのたりのたりとノンビリと揺らいでいました。
のどかな風景です。荷物を片付けてふとテレビを見ればウクライナの戦車の残骸がアップで惨めな姿、大きな違いです。何が間違ってるのか〜?。ロシアは何も知らない、捏造だと嘯いている。
これが片付くには数年係るとか?、外部はともかく当事者の子供たちの教育は誰が責任を持つと言うのだろう〜。過ぎし日は取り返しが出来ない。少子高齢化の世界的減少、人口が多い国も有るではないかというても高等教育環境でないでは、問題解決にはならない。
戦争とはそう言うものだと言えばそれまでだけど、ロの大統領は正義のためだという。このギャップ、埋めてくれるのは「葵の紋どころ」しかないのかと思っていたら、「無宗教、今はすべてが神頼み」という川柳句?見つけた。 ア〜〜ァ!。














4月05日:晴れ
関東東北地方には前線が残っていて雨だという。
しかしこれから前線が去って寒気は消えて防寒コートがスプリングに衣替えとか。
今日は二十四節気の「清明」だと〜。やっと冬から春へ、イヤ、初夏かな。
やっと寒気から開放される。〜〜) 三浦への海岸道路を走ったら桜が満開だった。












4月04日:晴れ
起床はAM5:00でした。
血圧体温など測った後身体をほぐしていたら、もう朝焼けで明るくなって来たので出てみると長島の山から立ち上がったところでした。今日も上々の天気のようで背伸びして肩を上げたら「アイタ、タッッ〜」またまた痛みが・・・。なかなか直ってくれません。><;)
けども、使わないと良いみたいだけど使わない訳にいかない。しゃぁ無いとブツブツいっても仕方ないので、好天なので毛布など干そうと屋上まで数回、上下。風も微風なので上々なのだけど、花粉は飛んでるのかなぁ〜?。布団掃除機で花粉は取れますよ〜習ったのでやってみましょう。













4月03日:晴れ ta
また5日には出かけなくてはならないので、帰島をどうしよう〜?と迷ったのですが、用事がPM3:00頃に丁度片付いたので定期船に乗りました。
今日は凪ぎで適度に揺れましたので、こっくりこっくりしながら・・・・。



’いわい’第3便、出航頃〜





4月02日:晴れ
北東からの風波〜、次第に凪いできました。
日向に出るとほっとする暖かさです。

今朝の”朝ドラ”に泣かされました。で、再放送を見て昼食を終えたら、更新がまたまた遅れてしまいました。この朝ドラ(連続小説って言うのだった?)には味噌汁が煮詰まったり、鍋を焦がしたり、失敗を繰り返してしまいました。 私の反射神経が相当イカレてしまってる?。ヤレヤレ・・・ ><;)

町の教育委員会教育文化課から絵てがみ教室再開の連絡が来た。コロナの感染防止対策で中止されていたのだけど再開されるという。俳句会も再開の運びだ。^0^
火曜日(3/29)に有ったリズム体操、張り切りすぎた後遺症?か身体が重い。リズムに乗ると楽しいのだけど、唄に例えるとオンチ。克服には相当の時間がかかりそうなので、これは難問だ。~~;)

























3月31日:雨のち曇り
あわただしく過ぎる日々、桃から桜花爛漫へと季節は移ろいました。

毎日繰り返され、綺麗だったウクライナの街が情け容赦の無いロシアの攻撃で壊されていく過程を見てると。正義とは〜何ぞや〜と、日本流で言えば神も仏も無い無慈悲な殺し合いをこれでもか〜と見せ付けられて〜、自分の無力感を痛感してもどうしようもない様相・・・・。

けれど、今から80年前の日本、続く空襲に脅えながらも竹槍で一億総決戦とこぶしを振り上げてた過去を体験した日本。
祝島の墓地を歩くと昭和20年8月14日戦死と刻まれている墓石が散見される。
17名の14〜5歳の若人が光海軍工廠に学徒動員されていて空襲にあって戦死したという。終戦のわずか一日前の出来事だ。昭和天皇の終戦勅語を録音したレコードの争奪の様子を近衛兵だった島出身の人の話を聴きながらドキドキと胸が騒いだこと、思い出したのですが、二度とその話は聴けませんでした。’もう一度と’〜頼んでも話をしてくれませんでした。

母国のためにあくまでも戦うと述べてる人たちが毎日のように映し出されているウクライナ。
良くも悪くも言論統制されている現実、ロ国の大統領には事実の情報が届いていないという。
ウクライナでは隠れ家の地下壕には水も食料も何も無いともいう。「みすみす国民の死を防げない、武器が欲しい」というウクライナの大統領、けれどその武器はロシア兵を殺傷することになる。
戦争と言う名の殺し合い、いつ終着するのだろうか。

日本の甲子園では高校生達がそして応援の人たちも涙を流した。これは嬉しい涙だ。
 ”平和ニッポン” に感謝!。











3月28日:晴れ
:*三寒四温*言葉が菜種梅雨と重なります。
例年〜もこの時期には雨が降っては温くなって来ますが、今年も〜。墓参りに出かけたのですが、道端には草花がビッシリと咲き誇っていました。

”ミサイルが飛んで来る”というウクライナ。砲撃も加わって荒れ果てた町並み。幾年の積み上げた文化が無残に壊されていますが、早く対応が出来ないものでしょうか。
まさか国連の平和維持軍に大砲を向けないでしょうから、一刻も早く分け入って子ども達の命を救うべきだと思いますけど、そんなに簡単に行かない?と言っていたら、かけがえの無い命を失った人にお詫びをしたって基には戻らない、憎しみの連鎖が限りなく続く不幸を、皆んな判ってると思うけど・・・。
ロ国の大統領は平和のために戦ってると支持するロ国の人たちも、可哀そうだですね。


















3月27日:晴れ
昨日の暴風雨を思えば今日は綺麗に晴れ上がった春の日差しいっぱいの青天でした。
着物も一枚減らしたのですが丁度良くって暖房器具も隅に押しやりました。

山肌はまだ替わりませんが、山桜は新芽を出したようで逆光で撮ると桜花爛漫の来春を告げています。二、三日したら一斉に開花します。
桜花下での花見の宴のお許しも半数位出たようですが・・・・。どうなさいますか〜?。
 mコロナ禍は’吹っ飛ばせ’m〜でしょうか?。


















3月26日:暴風雨
昨日25日三便で帰島したのですが、南東からの風波で白井田周りで帰島しました。叶島を過ぎると大きく揺れてちょっとビックリでしたが、乗客の皆さん誰も平気?で何食わぬ顔、船長さんが懸命に操船してましたが、さすが経験を生かして無難な航海でした。

今朝は起き出してみればもう予報通りの天候で雨が降ってました。
東寄りの風だと我が家は安泰?でヘッチャラですが、「不公平だ」と東地区と話すと笑い話になるのですが、集落がどうして祝島の北東地区定まったのかに興味がありますが、弥生時代と言われる遺跡を考えると高地集落からの経緯を書き留めて置くべきだとアドバイスをもらってるのですが、振り返って見れば大筋は見当が付きます。
ボケないうちにとせかされると、まだまだ〜と開き直ってる〜?!

冗談はさておきメモに肉付けしていけば良いので、集落位置だけでなく神舞編も次期規模縮小は必至なので事前準備に取り組まなければならない〜かなと。
”祝島の昔話”を語る会の開催希望も届いているし、けれど最近何かと意欲減退気味なのでここらが踏ん張り所だぞと座り直したら、心がざわついて来ました。











3月21日:曇り
定期船’いわい’が定期検査と言うことで休航中なので代船の金比羅丸が就航しています。来月4日まで〜と少々長めの代船です。毎年この時期なのですがこの時期は大気が不安定で佳く時化ますがこれも仕方ないことですが欠航したりで慌てることが多く、注意が必要です。
22日が通院日なので三便で室津まで渡りました。





3月19日:追加報
とうとう、”百万アクセス”に 到達出来ました。
写真をわざわざ撮って送って下さった方々、心から感謝いたしております。
また、長年に渡り、替わりばえのしない情報を飽きもせずアクセスして下さった沢山の
皆さんが居られたからでありまして、お陰様で高嶺の華を見ることが出来ました。深謝!。

所用やPCの不具合があって掲載が遅くなりました。とりあえず速報します。








3月19日:曇りのち一時雨
昨日(18日)は一日中雨風で何処にも行けなくって家の中で悶々。

時折テレビを点けると、東北の震度6強の被災状況と、ウクライナの戦争に巻き込まれ逃げ回る子供たちと高齢者、どちらも抗する術無き弱者達、飛んでくるミサイルや砲弾では隠れても運試し〜、話し合いではらちが開かないからと武力でと言うのだろうけど、それではこちらも武力で〜となってしまったのではどうしようもない。兵隊を雇って戦争するって正気ではないと判ってても止めようが無い〜とは。
強いものが勝てば良いというのでは、他の生物以下、笑われる話だけど、理性なき権威者は他者の生死にこんなにも無頓着だとは〜。

定期船が欠航、丁度祝島から船が渡航して来たので乗せてもらって帰れたのだけど。欠航の理由はあるみたいだったけど、地震も震源地がわかっても、後の祭りではこれも困った話。

自分も体調不良が高じてきたのだけど、歳の所為だけでは無いみたいだし、これも神様の思し召しで生きながらえるしかないのか〜?!。

横綱照ノ富士が欠場。当分天下かと思ったけど、若手の成長が著しい。












3月13日:曇りのち晴れ
遠くがボンヤリと霞がかかってるようで春の風情になってきました。今年は立春から冷え込んで来てびっくりでしたが、ようやく季節が動き出して来たようです。コロナ禍で花見も自粛して来ましたが、なかなか減らない感染者数ですが、一体どうなるのでしょうか。

ひとり暮しだと急激な体調変化が怖いのだけど、最近不良箇所があちこちと出て来たみたいで「老齢化現象だな?」と思うこと度々〜。
都々逸の”あなた百までわしゃ九十九まで〜”の歌詞が希望だったのですが叶わぬ夢になりました。

昨日、友人からお刺身の差し入れがあって、美味しくいただいたのですが粗(アラ)を水炊きして温くもりながらゆっくり食事をしたのですが、水屋の上の隅の盃と銚子が目に付いたので「オイ、燗をして〜」と言いながら振り向いたら遺影の彼女がニッコリ。
’コップ酒で、たっぷりどうぞ!’と言ったような気がしたのだけど、たっぷり飲めなくなりました。~~;)













3月12日:曇りのち晴れ
6日の’いわい’第3便で島を出て、昨夕の三便で帰島しました。

スマートフォンのライン教室に行ってライン基本?を聴講したり、友だちを登録方法に挑戦、次の日にはリズム体操の三回目。前週をサボったのでちょっと気恥ずかしい思いで教室に入ったのでしたが、皆さんの眼差しが優しいのにドギマギ。まだ汗をかくほど動けないのですが、マァマァ一生懸命〜!!。右肩が先々週頃から違和感があって、お灸と針で治療。すぐ効果があった訳ではないのでしょうが何だか軽くなったようで〜〜^0^)
.で、夜には総合文化センターでフォトサークルの例会。皆さん熱撮の写真を鑑賞しつつ自分のも〜。
次の日はグランドゴルフの練習日だったのですが肩がまたまた痛み出して急遽欠席に〜。
昨日11日(金)は室津上関地区は燃えるゴミ集荷日だったので出して室内の清掃や洗濯物の片付け
したりしてたら三便の出航時間が近づいたので帰島することにして祝島に〜。

今朝には海はベタ凪ぎなので出漁を〜と思ったのだけど、やはり肩にまた違和感が出て・・・。
手を見れば、「カン(寒)バレ」が急に綺麗になって来て何だかこちらは不思議で・・・?。

ふと外を見れば日差しが強まって来たみたい、明るくなって来ました。










3月05日:晴れ
モンゴルで黄砂嵐で日本上空に今日到達とか〜、それに花粉が飛んでるとかの予報。
南予報士の解説ですが、あれっ昨日(4日)も解説されてた?と思ったら先週のことでもう一週間経ったのかと〜。日の経つのが早い。 @@;)

今日も良く晴れて雲がありませんが西風がこれから吹いて来るようです。
「要ご期待!」とは言えませんが、それはそれとして、ウクライナでは大砲やミサイルで歴史あるキエフの建物が被害を受け、国土が焦土化してますけど、大人と子供程に態勢に格差があるのですから、早く収めないと取り返しが出来ないと思うのですが、何とかならないのでしょうか。




3月04:晴れ
リズム体操をすると膝の上辺りが震えます。
筋肉が衰えて来てるみたいなので、坂道や階段を上るとひどく感じます。思えば最近歩き回ることが減ってしまって、それに歩かないで車や単車についつい乗ってしまうのを自覚していながらですから責任は自分で取らなければ・・・・。











干潮で港底が顔を出しました。よく引きました。





3月03日:晴れ
今日も良く晴れて雲がありませんが西風がかなり強く吹いています。白波が風に押されて忙しく西から東(右)へと移動しています。波はあまり高くは無いようですが、釣りには出られません。

ひと昔前は、少々無理しても出れば何かと漁があった(釣れた)のでしたが、最近は出ても釣り果が無いので無理して出漁しても〜という風潮になってしまいました。

帰港した船に「釣れたか?」「種があった」の問答。二、三匹。マアマアで凡そイケス半分位。釣り果を濁すのが常識だった。明日も釣りに行くのだから先回られると面白くないと言うのも有ったからかも。

まだ駆け出しの頃、いっぱい釣れてホクホクで帰港したら、隣に船を係留するおじいさんが「どうだったか?」「マアマア〜」と言えば良いのについ「二、三匹」と言ってしまった。
イケスを覗き込んだおじいさんが「お前も漁師根性になったな」とニヤリ。
後の返答に困ったことを時々思い起こしてましたが、今は逆に一、二匹でもマアマア〜。

これは落語ではないのですが、なんて言えば良いのでしょうか。 ><;)














3月02日:晴れ
静かな夜明けだな〜と、濃霧注意報が出てるみたいだな〜と思いつつ、朝日を追っていたら急に霧が濃くなりせっかくの太陽をすっぽり包んでしまいました。あとワン・シーンをと移動してたら霧のほうが早く太陽を包んでしまって、’ん〜!’でした。
凪だった海面も次第に波立ってきて昼前には白波が一面を覆ってしまいました。














 これは第二便です。



3月01日:雨
弥生三月の幕開けは雨でした。これから三寒四温が繰り返されて暖かさが増し初夏へと移ろう日本の四季。枯れ枝に見えてたのに近づいて観ると蕾が膨らんで来てます。

日めくりの今日の名言カレンダー。キャベツを台無しにした青虫に腹立てて愚痴をこぼしたら近所のおじいさんから返ってきた言葉、「生きてるもんは、みんなちょっとは悪いことをしてるもんよ」と。
モグラもノネズミ、タヌキも「許してやれ」寛大だと。エっ、イノシシも〜。なんてつまらぬこと思った。
この言葉、米ロの大統領に届けたら〜、怒られるかな?。

そしたら、ロシアの攻撃で負傷した女の子が手当ての甲斐なく亡くなったという昨日のニュース。また成年男子は避難せず戦えと言う命令?が出て父や兄と別れたと泣きながらの訴えも〜。
アメリカが参戦したら世界大戦になる〜、ロシアは核兵器を使うかもとか。
こうなると止まることが出来なくなる。勝者は居なくなる。「再び戦争をしない」ためにと出来た国連。
国連さん、こういう時しっかり活動くしなくては〜〜。

昭和20年終戦近く、空襲警報のサイレンに起こされて、祖母に背負われて防空壕が無いので近くの木陰に避難した思い出も幾度か。、三歳半の頃だったのに、対岸が燃えていたのを覚えていて徳山(今の周南市)空襲の時だったのかなと〜?、それは後日談。
墓の参道の途中にその木があって、頭上を覆う木陰でその後休憩した折々、見上げて、この下に大勢が集まってたのだからグラマンの機上から丸見えだったのになぁ〜と。側で母に抱かれてた赤ちゃんだった妹がギャギャ〜泣いてた。まだまだ、今思い出したらいろいろ〜。




’いわい’第2便、東周り(四代)を諦めて西周りで〜。







2月28日:晴れ
朝から、最近に無き上天気。
余りにも佳き日和に誘われて、釣りに出漁。勇んで出かけたのですが、30aクラスの鯛一匹、20a1匹。沖メバルとカサゴを1匹ずつ、これで4時間近く要しました。><;) ア〜、ア〜。




















2月27日:晴れ
西から高気圧が張り出して来ましたが、風がやや強くて休漁です。
昨日ほど冷気は無いようですが、浜通りに立つとやはり寒くうららかな春は足踏みかな〜?。
平均気温が2月は低かったようで、花粉の飛散はまだまだ少ないようです。
遠くは春霞に覆われているかのように霞んで見えますが黄砂でも無いようです。
しばらくは冬の延長戦に耐えなければなりませんが、ウクライナのようにミサイルや大砲の弾では無いのでガマンできますが、戦争は止めて欲しいものです。









2月26日:曇り
’いわい’第2便
















2月25日:晴れ
*北西風が昼前に強まって来て、夕方にはやや弱まる。*
何だか最近はこんなパターンが繰り返されているような気がします。今朝も「嬉しや。今日は凪みたい
だな〜」とゴミ出ししながら呟いたのでしたが、またまた〜。でも良く見るといつもは遠く牛島あたりに見えてくる白波が今日は無い見たいです。
22日のゴミ出しが時化で中止になったので気になっていたのですが、今日臨時に集荷するという放送があったので、昨夕急遽帰島しました。集荷が冬場は週に一回なので生ゴミが多い時は慌ててしまいます。それに火曜日の時化が最近多いような気がする。自然に注文つけても駄目ですよね。
個人的な話だけど私の診察日は火曜日が多く、日程は変更できるけどDr.の都合で曜日は変えられないジレンマがあるので困ってます。

それとニュースを見ると憂鬱になりますね。
夜明けに爆弾やミサイルが飛んできたと言うウクライナ〜。
ロシアが〜ロシアが〜と警告?する米国。情報を公開すると言うことで頻繁に会見やら声明で知らせてくれたのでしょうが、ウクライナの皆さんはストレスが高まってたでしょうね。
対するロシアは侵攻はしない戦争はしない〜と言いながら軍事演習だと言い訳?しながら着々と態勢を固めて〜。
経済制裁で思い留まるくらいなら、戦陣を大挙展開しないだろうがなぁと素人評論家頭で思っていたのでしたが〜。
世論が味方すると言っても100%がロシアを責めはしないだろうし、中には無責任な世論もある。

そうした戦禍の中で立ち往生してるウクライナの国民の皆さん、誰が助けてやれるのだろうか。
「米国が守ってくれる〜」というので核を持たなかったという、ウクライナの外相の言葉がニュースの中にあったけど、自国民を守れない〜悔しさがありありと。

国連の安保理がこういう時に機能しないというのも、悲劇ですね。
日本国の平和憲法を世界の手本に〜と習って、眼を輝かせた義務教育の子供の頃を思い出します。その憲法を手放すかのような憲法改正論議、〜袈裟の下に鎧〜思想が強まるのは大変悲しいことだと思うのですが、素手では国民を守れない現実社会、武器商人が高笑いする時代にだけは戻って欲しくないですね。













2月20日:晴れ
寒い日が続きますね。
この間から身体が寒さを警戒してるのか、外出したくないので窓越しに海岸通りを眺めてるのですがこちらも人影なくって、皆さんもオリンピック観戦なのでしょうか?。

鍛錬の成果が花開いたり、散ったり〜とそれぞれが思いを込めたシーンの数々・・・・。
北京と1時間の誤差ですが、昨夜も最終まで観戦したので就床は午前様になって、今朝は何と目覚めたらたら8時前でした。10時からはカーリングの優勝決定戦があったので、とうとう午後1時までテレビの前での立ったり座ったりの繰り返しでした。

風は相変わらずの北西風、しかも冷たくって終日ストーブのお守りをしました。
日本列島は寒波の嵐。そして今夜はオリンピックの閉会式、この方は無事に完了でしょうが、米ロも花火で終焉して欲しいものですが・・・。 




雪が舞ってるのでしょうか〜: 煙る平生町・大星山  光市室積・御手洗湾





2月14日:曇りのち晴れ
’晴れる’との予報ですが薄曇で日差しが今一です。
曇っていると気分的にも寒さが増してしまいます。東京では雪警報が〜とのニュースでしたが交通網も平常のようでホッとされた方も多いのではないでしょうか。こちら祝島も北東からの白波が防波堤にぶつかっていますが大したことはありませんが、島の裏側に行けば釣りは出来ますが一隻出ただけで後は休漁のようです。
なかなか釣れないので仕方無いのですが、漁獲が少ないのは祝島だけでなく、瀬戸内も減少で、大きく言えば日本中が・・・・。国内産の漁獲は3割とか4割になってるとか。
輸入に頼ってると食糧安保で騒動になりそうだけど、高齢化した日本漁業の建て直しは難問でしょうか?。肝心の魚も貝類も減少の一途だとは、想像すら出来なかったことですね。

二便で出かけようと思ったのだけど、確定申告の領収証を整理したくなって三便にしました。
更新がまたまた正午を過ぎました。早くから見てくださる方には申し訳ないと反省してます。











2月13日:雨
予報通りの風波・雨です。
今日の帰島を予定してたのですが、雨予報なので昨日三便で帰宅しました。
濡れずにすみましたけど火曜日に受診なので明日(14日)の’いわい’第三便で室津に渡ろうと思っています。ならば帰島しないで受診が済んでから帰島すれば良いのに〜と自問したのですが・・・・。

こんな事書くと常識ハズレで笑われると思いますが、プロカメラマンが撮った五十代の頃の冴子の写真をA4サイズにプリントして、逝去前のと取り替えて、遺影?のつもりで飾りました。、
ところが、でもその写真は元気な時でにこやかに微笑んでいて、「エッ、亡くなってるの〜」とついつい錯覚を起こしてしまうような佳き表情なので、で、また遺影に使った写真に置き換えたら部屋の中が暗くなってしまうので悩んでいます。
帰宅してその写真を見れば安心?と言うか〜ほっとしてしまう心の弱さにちょっと呆れてしまいますが、”まぁ、しばらくは心に任せて〜”と。













2月12日:晴れ
夕方4時の室津港から皇座山を望む。上弦の月が見えましたが判りますか〜。
三便に乗って祝島に帰島しました。8日に島を出てから、お医者さんに行ったりコロナワクチンを打ったり、ちょっと多忙でした。






2月10日:晴れ
落日の後、夕焼けを期待して待ってたのだけど〜!。
室津の二階窓から〜道の駅の向こうが上盛山





2月08日:雨のち曇り
「あれっ、雨が降ってる〜」。起き出して玄関を開けてビックリ〜!。
今日は雨の予報だったかな?と引っ込んでテレビをつけてみれば9時頃まで雨だ〜とか。

雨雲はすでに通過してる?のに昼近くになってもどんより天気。なかなかスッキリ晴れそうも無いけど昨日までのように北西風が強く吹いて寒いよりかこの方が良いかなと独り言。

明日からお医者さんの診療やコロナの接種で室津に滞在するので、今日の内に室津に渡っておきます。二便の心算だったのだけど用事を片付けて出かけたほうが良さそうなので三便に変更しました。

携帯電話に緊急通報画面が出現して混乱したのですが何とか正常に戻ってヤレヤと思ったら今度はパソコンが動きが早かったり遅かったり、記入もヘンテコで更新がままならない状態で〜何で〜と思いつつ、やっと終了!?・。
白内障手術後の経過が、何だか変に?なって、渡ったついでに眼科を受診したほうが良いかなとも

何故か〜が分からないことばかりでなので余計気分が塞(フサ)ぎます。











2月07日:晴れのち暴風
昨日までの強風が嘘のようですが、やはり寒い〜!。寒気は健在?のようで寒さは厳しい。


















2月06日:晴れのち暴風
北西の寒風は相変わらず吹きつけて来ます。
コロナ君もオリンピックに負けじと今日も強烈な感染力で皆を困らせています。

行者堂にお参りして平安をお祈りしたのですが、サテ効き目は如何に〜!。












亀石:漁師さんたちの信仰が厚い〜





2月05日:晴れのち暴風
空は青天ですが今日も白波です。まさに冬の海で一面に遠くまで白波が出現します。
極寒気団が今日明日と張り出してくるようで日本海側は、大雪だと〜。

海岸通りには人影がありません。コロナ菌は吹き飛ばしてくれるのでしょうが、寒さ対策が大変!。
まぁ雪が積もら無いので雪かきの心配はないのですが、風に当らないようにするとなると屋外に出ないでオリンピック観戦ですが、”厳戒態勢での競技”、コロナ感染もですがロシアが”平和の祭典”に水を差さないで欲しいと願いたいですね。
大相撲もプロ野球も感染拡大のようだけど、この先はどうなるのでしょうか?。持病のあるこの身体、
万一感染となると自宅待機と言われても対処出来ません。

アッ、カレンダー見て、ビックリ。
今日は山口県知事選挙の繰上げ投票日でした。先程’いわい’第2便が出航しましたのでまだ間に合います。投票場まで出かけましょう〜。寒いとは言っておれませんよ、ネ。












2月03日:晴れのち暴風
空は青天ですが白波は連日です。まさに冬の海で遠くまで白波が出現します。

写真は第2便の出航時に撮りました。












2月01日:晴れのち暴風
予報では突風〜だったのですが凪ぎでしたので、久しぶりゆっくりと日の出が撮影出来ました。

しかし9時ごろには前触れの雲が広がって来たので、洗濯物干すのを屋上は取りやめて裏庭のサンルームにしましたが、正解でした。風もざわざわと木の枝を揺すり、細波が風に追われて次第に忙しく西から東へと移動を始めました。庭木の剪定も午後は駄目だな、ならば午前中に少しでもやっておこうと取り掛かりましたら、すぐに風が吹き通すようになり、連れて今度は寒くなって来たので取りやめて
午後はデスクワークにしました。

朝撮った写真を整理し更新をしていたら近所の知人から差し入れがあって、魚のフライやら煮物もあって夕食の準備はOK.ありがたいことです。
ホカホカの内にいただこうと、今日はダントツ早い夕食になります。

定期船は荒天のため欠航と島内放送がありました。






















1月31日:晴れ
*処方された薬をサボってまたまた不調になっては〜*と思い直して、昨日は昼前に出港して室津港へ〜。渋ってたのでしたが出かけたのは正解?でした。心配した風波も想定内で、気になってた潮位がジャストの高さで、楽々に荷物の運搬が出来て思わずニッコリでした。

今日も空はきれいに晴れていますが西風のようで遠く牛島の近くが白波のようです。北西風になると祝島集落に風が当りだして白波が防波堤にぶつかり出すのですが・・・・。
白波が次第に近づいて来る〜感じです。

次回の診察日は2月9日の予定なので丁度その日までの薬が確保出来ました。
前回12月22日で56日分が2月9日、ぎりぎりピッタリだけど、海が時化たり、Dr.が広島大学病院から出向してお出でくださるのだけど、そうした時不足分は無いということになるので、一週間7日分、もらっておかないと困ることになるなぁ。前回そのことをお話した心算だったのだけど、了解してくださったと思ったのだけど、もう一度診察日には相談してみよう。
9日の朝食後飲んで56日分が終わり、診察日に処方してもらって56日分の初回が夕食後からになるという訳だけど、振り返ってみると薬をちゃんと飲んでるのだなぁ〜。
一昨年の不飲騒動から、薬局の薬剤師さんが「薬をちゃんと飲むのですよ」と薬を受け取りに往ったら必ずおっしゃるのだけど、*「チャンと飲んでいます」*と今度は言い返してみよう〜。^0^)
 (ハハハ、楽しみ〜楽しみ〜!)

いろいろあった新年一月でしたが、もう明日からは月めくりのカレンダーが二月に・・・・。
絵はがき教室が休講になったり大島病院往きを前倒しで受診したので柳井医療センターが二回と歯科が一回そしてコロナワクチン接種で総合文化センターへとで出島が四回で済みそう。
でも、室津の家が留守が増えてしまう。三男が帰って来る様だったら出かけなければ・・・。

山口県内のコロナ感染が昨日は383人だったとか、早く収束して欲しいですね。
















コッコーの争奪戦;
「ヒヨドリがきてますよ」と家内に応援してもらっても
負けた戦い?でしたが・・・・今年も〜


1月30日:第2報
昼前、処方されている薬を室津の家に置いて帰島してたので、意を決して取りに往きました。
冷蔵庫の食材が残り少なくなってしまってたので、スーパーに行って購入して、それに先日来の雑品をも船に積み込み帰途に〜。夕日が落ちる前に鼻繰島まで帰って来て携帯のカメラでパチリ、風波に悩まされること無く帰島出来てラッキーでした。







1月30日:晴れ
次第に凪いで来たのですが、戦意が湧きません。
海岸通りに立ちますと寒気に足元から包まれて戦意喪失しては後戻りしてしまいました。
昔も寒かったかな〜と知人に声かけたら、以前から冬は寒いのです〜とニヤリ。
〜気合だ、気合だ〜と叫びながら往ってしまいました。 ><;)

飲み薬が無くなって〜室津に置いて帰ったので〜取りに行きたいのだけど腰がなかなか上がりません。以前薬が手元に無くって三日抜かしたことがあったのですが、体調不調を起こしてしまってDr.薬剤師さんに怒られた?ことがあるので、今日も明日も風波は治まってる見たいなので、自船で出かけようかと海面とニラメッコ。
コロナの蔓延が迫って来てるので島外に出たくないのだけど、冷蔵庫の食材も無くなって来たし〜と気持ちを後押ししています。








ヒヨドリは、猫も私をも警戒しますが、私が引っ込むとアッという間もなく
ご覧の通りに綺麗に食べられてしまいました。





1月28日:晴れ
海は凪ぎのようだけど良く見れば遠くは白波のようです。
〜寒い〜言わなくてもよいのに、ついつい口から出てしまう。
で、昨日の庭木の剪定の続きをしようと思いながら、寒いので昼までストーブの前でゴールキーパー
?をしてしまった。ちょっと早い昼食をしてから〜と思いつつ更新が進まない。

良く考えたらご飯を炊かなくってはなりませんでしたし、洗濯物を干さなければ・・・・。 ア〜ァ><;











1月27日:晴れ
冬至から一ケヶ月余、定期船の出港時刻頃はまだ暗い。目覚めて布団の温温から抜け出す時はちょっと勇気?が要る。
今朝も起きかけて壁の時計を見て、机上の置時計を見てやっと起きた。 ^0^



第一便



第三便



1月26日:晴れ
昼前にお墓参りに出かけました。眺める景色は変わらないのですが少し時間が有ったのでゆっくりボンヤリ・・・。
それにしても次から次へと用事が出来て来ます。完璧には出来ないまでも遣り残さないようにと思うと気が急いて来ますが、自分でやらなければ溜まってしまうのだと思うと気が重くなります。

身の回りを整理して置きたいのだけどなかなか捗らない。思い切って捨てようと取りかっかっても、残すものが多くって、ただ右から左へと移動させただけになってしまって、ア〜〜と溜息が出ただけになって、こんなことでは終点がみえないなぁと溜息!。
皆さんは、いかようにされておられるのか〜?、ある人に先日聞いてみたら「捨てる〜」と一言。
エ〜ッと驚いたら、「その心算だ〜」と。側に居られた奥さんが、「偉そうに言うけど口ばっかりだから心配しないで」とニッコリ。じゃぁどうなることかな〜で、チョンに〜!。










1月25日:晴れ
バイクの調子が悪いので友人の名工に手直ししてもらいました。動かなかったのが快音を出すようになったのだからすごい腕前だ、充電を兼ねて三浦湾までドライブ?!。
ところが、晴れていたのに風が冷たくって、途中でやめようとストップしたのだけど、しっかり充電しておかないと明日困るよと独り言、気を取り直して三浦湾の終点まで行きました。

着いたら何とブタさんがお出迎えしてくれました。周りには枯れ草ばかりで「ごめんね」とわびたらブーブーとも言わないで向こうに〜。せっかく寝転んでいたのに私がバイクを止めたばっかりに起き上がったのにと、自分なら文句の一つは言わないと納得できないなと思い出したら、なおさらに気の毒になって、で、「次回には持ってくるからね」と言っても振り返りませんでした。 ><;)







1月24日:晴れ
朝の内は曇ってしかも西風が強く吹いて寒いのですが、昼前頃から次第に青空が広がって来て陽に当ると心なしほっとします。春の足音が次第に近づいてきてるのかな〜。











1月23日:晴れ
昨日第二便で帰島しました。
コロナ感染が広がっているので、万一感染しては大勢の皆さんに迷惑かけるので慎重に慎重にと注意をしてるのですが・・・・。

19日には周防大島の大島病院に行きました。
出入りされる患者の皆さんは、手洗いが徹底されていて丁寧に手を洗われるのには感心しました。













1月18日:晴れ
第二便で出かけます。明日、明後日とお医者さんで診察を受けます。
余り島からの出入りを繰り返さないようにとまとめて予約をしました。









1月17日:晴れ
今日は北西からの寒い風が遠慮?しないで吹き付けて来ます。
体が訛ってしまったのか寒くって重ね着もいいところで5枚も下着を重ねているのだが、それでも寒さを感じて、エアコンと空気清浄機と電気ストーブと新顔の蒸気噴霧器が狭い6畳の間で(大)活躍中です。温まったのか眠気がしてしばしウトウト〜。見ればAM10:00、何故か最近10時頃になると眠気がして来て、雑誌を読んでいたら、良質の睡眠をしてない〜という項目があって、ん〜です。

なんて、ボンヤリしてたら北朝鮮がまた打ち上げて花火遊びの心算か、弾道ミサイルとか。
ヘェ〜と言ってたらトンガがまた大噴火したという。
海底火山の噴火で津波だとは〜、遠くほど大きくなり高くなるという困った現象。
これにコロナの追い討ちでは、自粛だけでは対処出来ないのかも。

通院の間隔をのばしていても、2ヶ月・3ヶ月に一度は診察を受けなくてはならないと思うと気が重くなる。名案は浮かばない?。

気分転換に雲の観察。雲の流れが速い。次々と変わって行くので退屈はしない
のだけど”寒く”なって来た。 ><;)













1月16日:晴れ
晴れ間があるのですが雲が優勢で、雨雲のようなのでやがて「風が強まり一雨来るかもしれない」ようです。ちょっと不安定な大気にまたなって来ました。

不安と言えば”最近の地震のニュース”。
今朝も起き出して何時ものように体調測定をしようと思って”定位置に”。
そしていつもの様にテレビをオンにしたら、飛び込んできたのが「つなみ!にげて!」の大文字。
「トンガで爆発地震が有った。津波の心配なし?!」というテレビのニュースを見て昨夜は床に入ったので、アレッ今度は何処だと注目したのでしたが、予想が外れてはるばる南太平洋から津波が到達したみたいで、NHKさん得意の中継放送中でした。繰り返し繰り返しの画面に呆れながら見ていたのでしたが、岩手県沿岸に津波3メートルが到達した。奄美・トカラも津波警報で1b越えの津波だという。この辺りも20〜30aくらいの上昇があったかも知れないけど、その位ならまぁニュースにはならないが、寝入り端だっただけにこれから万に一つの3b級の津波が来たらアウトだなとちょっと反省。


















1月15日:晴れ
風も無くベタ凪ぎの状況ですが、薄雲が広がっていてやや寒い刻が流れています。
コロナ禍最中の山口県、ここのところ過去最高の感染者数を連日発表していますが、余り自慢にならない数字なので、関係者の皆さんの心中察して余りありますね。

昨日上関町に感染者1人の数字が出ましたが、今日明日と続かないように祈りたいと思います。
自分も通院先が複数あって、出来るだけ間隔を開けてくれてますが、それでも行く先が多いので週一回は出かけなければなりませんので、感染が怖いですし、一人暮しになって余計心細い日々です。

今日は神明祭・どんど焼きが行われる予定です。例年参加していろいろお世話しましたが、今年は’忌み’があるので次第を尋ねられたので指導はしましたが、参加は遠慮します。
いつも強風でよく悩まされましたが、今年は風も無く絶好のどんど焼きの日となりました。










1月10日:晴れ
今日も小春日和で風も時折で、先日の寒波が嘘のようです。でもそう言いながら青空を眺めていたら見慣れぬ雲が出現していました。今夜から天気は下り坂で雨も降りそうな予想が出ています。
やはり上空の大気は次のステップに入ってるかの様です。
こんな良い天気なのに漁船も係留したまま・・・。

「出ても釣れない、カゴにも何も入らない」という。タコが品薄のなってしまって回復は神頼み〜とか。
寒タコの壺を入れる時期が来たのだけど、なかなか動きません。取れても少量では品高でも費用にならないという珍?現象。困った時代になりました。今まではどうして沢山に収穫しようかでしたが、今は出来るだけ程ほどに獲って長く漁を続けようというやり方になってると、二、三日前にNHKでそんな特集をしてましたが、水産物の水揚げが日本は激変というよりか激減少だという。
静かな港内、エンジン音も漁師さんたちの大声の会話も聞こえて来ません。

明日、明後日とお医者さんです。三便で出かけます。
 pm3:00









1月09日:曇りのち晴れ
見上げると薄く雲が流れ、静かに刻が流れてました。
晴れの予報だったがと思いながら布団干したかったのにと時々天を仰いでたのですが、昼近くなって急に日差しが強まって、ラッキーとなりました。火曜日と水曜日に診察の予約を入れているので出かけねばならないので今日なら良いのにと〜、希望が叶いました。ヤレヤレ〜。^0^

















1月08日:晴れ
快晴の日差しが続きます。北海道、北陸は風雪に悩まされているようですが・・・・。こちらは来週火曜日頃からまたまた荒れそう見たいですが・・・・・。
皇座山に雲が出現したので北東風が強まるのでは〜と身構えましたが、そのまま収まりました。












1月07日:晴れ
今朝も朝焼けが楽しめました。
北西風が吹かないので、屋上に上がっても何時もの寒気風でないのでノンビリ?風景が楽しめます。
東京は積雪でお気の毒です。と言っていたら山口県・広島県ともコロナが蔓延してきました。
収束はまだまだ先のようですので、ここが正念場かも〜。















1月05日:晴れ
昨夕(4日)祝島に帰りました。
寒かったし、何か疲れてしまった感がして、昨夜はとうとうボンヤリ〜で。

今朝は早めに目覚めましたが少しノンビリ・・・・。
「そうだ、日の出を〜」と屋上に上がりました。長年の西丘の”定位置”に上がる意欲が湧かなくって、近く?の屋上での撮影になりました。
驚いたのは陽を中心にして上下に陽光が〜、余り上手く撮れてませんが〜?、
薄く〜ですが光の帯が上下に感じられ、これは’目出度い’と、嬉しくってパチリ、パチリ〜。




















1月01日:晴れ
新春が幕開けしました。

上関大橋上では初日の出を待つ大勢の人たちが待機されてましたが、その様子を下から撮りたくって
長島(上関)に渡りました。
少し雲がたなびいてましたが、期待通りの綺麗な日の出でした。
”どうか、幸多かれ〜”と気がつくと手を合わせてました。
”皆々様へも〜〜”



















12月31日:晴れ
令和3年(2021)、橋部好明にとっては忘れ得ない年の大晦日になりました。
何よりも体験したくなかった妻との別れ、「それも死別という」ドラマでは無い現実の出来事の中での体験だけに、世の無常を悔やみながらの舞台での幕を下ろすという辛い役割で終了しました。

二度と演じたくない、演じることも無いドラマが終わりました。
来る令和四年(2022)がいかなる舞台であろうとも、明日からの舞台がこれまでの八十年間を上回る気魄で対処できるだろうか〜。傍にいなくてもゆうわ苑に行けば、病院に行けば会え得たのに、声にならなくても私を確認してくれて、眼を見開いてくれた妻の顔が、いくら遺影に話しかけても眼はもう動かない。 〜ア〜ァ!〜、紅白で賑わうNHKの終了を待たず早く寝ました。

何はともあれ、この一年間皆様からいただいたご厚情に心底から感謝申し上げ、明日から歩むドラマがどう展開されるのか、無の世界から目覚められることを祈りつつ眠りに入れたらと〜・・・。


とうとう、渡航が第二便となりました。
ここ数日の荒れた海。黙々と定期便を運航された
乗組員の皆さんに感謝しつつ〜。


12月30日:晴れ
青空ですが寒気に伴う流れ雲に覆われると体感温度がグッと下がります。クリスマス寒波が年末年始へと続いています。強風は相変わらずですが寒気は居座ってしまいました。
知人に頼まれた薬を届けるために、昨日は三便で帰島。
室津に今日は二便で帰る予定だったのですが用事が終わりません。

三便で渡ろうと急いでるのですが、なかなか捗り(はかどり)ません。
海は大時化で、良く欠航にならないものだと〜、船長さんたちの意気込みに感謝です。
二便は後下がりで出港しました。













12月28日:晴れ
やっと強風が静まりました。ホント良く暴れました、良く吹きました。治まってヤレヤレです。
海の事故はありませんでしたが、山の遭難が有りましたが、仕方ないとは言えませんが連れの方たちは辛いでしょうね。










12月27日:晴れ
「濾水でしょう?。水が道路を横切っていますよ」と通行中の人が教えてくれました。
屋上に駆け上ってみると異様な風景が〜広がっていました。「数年に一度の大寒波」というはずです。
天日の温水施設から溢れ出た水が、折からの強風に舞ってプランターの草等に纏(まつ)わり付いて氷って、”霧氷”に〜。愛でるよりかまるでソーセイジみたいなので笑ったのですが触ってビックリ、素手だったので「痛い」と大声を出してしまいました。写真をとカメラを構えたのですが、なかなかシャッターが下りない。ビックリでした。
次に驚いたのはすぐ電池が無くなってしまう。良く見ると足元が滑る。変だなあと注目したら屋上も凍っていて’アイスリング状’になってツルツルに〜、良く滑らなかったなぁ〜と。大股で歩いたら滑って大怪我?をするところでした。
私は零下の経験が記憶に無いので、多分それ以下だったのかも、手指が強張って来たので屋内へ。

軍手でも良いやと現場へ、でも軍手ではシャッターが上手く押せないのではずしたら、すぐに手指が痛くなって、”ヒヤ〜ッ”と悲鳴で慌てました。


直径2〜3ミリの細い茎に付着した氷が後から後から重なって1センチ余のソウセイジ状に〜。



















12月26日:晴れ
予報通りの海上状況です。大型の自動車運搬船は、少々の風波はものともせず直進です。
インド洋、太平洋を平気?で行き来するのですから、この位は細波〜?。
夜明けと共に西進して行きました。













12月25日:晴れ
白波が海面を覆っています。
寒波が後押しをしてるようなので、この辺りまで雪が積もるかも〜そんな雰囲気です。
足元から寒気が上がってくるかのよう。ちょっと大袈裟かな。

オミクロン株が東京でも市内感染者が出始めた。外国のように爆発的に増加しないのは日本人の特異な体質が関係してるという指摘が出てるようだけど、サテ〜?!。













12月24日:晴れ
大きな雲の固まり〜、その上を強風が吹いてるようです。
明日から、またまた強風で大時化のようです。




12月23日:晴れ
ほんの数日前の冬の嵐と今日の穏やかな小春日和〜、片やコロナ旋風が何時治まるのか〜
オミクロン特異株が英国で非常事態となっている。やがてはニッポンでも大騒ぎにならなければ良いが、そうは問屋が卸さないだろう。困った事態が迫って来てるが今一緊張感が見えないけど、一体どうなるのだろうか。

眼に見えない相手にどう対挙すれば良いのか、神頼みって言う手段が通用してもらえないのか〜?。
昨日も今日も定期船の乗客が増えてるようだけど、誰も用事が有るのだから規制は出来ない話かも〜〜?。




















12月18日:晴れ
眼が覚めて、起き出してみると風の音が余りしないので〜一便は来るかなと支度して待っていたのですが、〜残念でした欠航。
昨日まで、お悔やみをいただいたところにお礼状を出していたのですが、それの後片付けしたりフォト情報の更新をしていたら11時を回ってしまいました。
句会は欠席で止むを得ないのですが、室津の家の片付けと千葉の次男の所にクリスマスプレゼントを送るのがまだだったので、ヤッパリ二便で出かけましょう。

風は凪いで来たと思ったのですが沖は白波です。自船では無理なので定期で出かけます。











12月17日:晴れ
第二便が到着直後突風が祝島港に押し寄せて来ました。AM10:49でした。
その様を久し振りに直視しました。風が海水を巻き上げて、辺り一面がしぶきで霞みました。
しかも風の固まり?が壁に当るとズシン、ズシンと家を揺するかの様でした。

明日は総合文化センターで俳句会が開催されますので出席したかったのですが、いきなりの雨風に
びびってしまってあれよあれよと言ってる間に風も更に強まって諦めました。

三便は就航するかなと心待ちしてたのですが欠航となって、「じゃ明朝の一便でとまぁ仕方ないナ」と諦めた次第でした。




もう少しでバランスを崩しそうでしたが・・・・。
強風の中西に向かう船が何時もよりか多いなぁと思ったのですが・・・。





12月16日:晴れ
さすがに風も治まりましたが、冷たくってカメラ持つ手がブルブルと〜。
でも東の空の雲も去っていて、写真撮るのには好都合で思いっきり撮っちゃいました。





















12月14日:晴れ
一昨日からの北西風は昨日も一日中良く吹きました。さすがに今朝は治まって来ましたが見上げると雲優勢で所どころ黒い雲も流れています。

ところが見る見るうちに雲が移動して、今度は青空が空いっぱいに広がって来ました。
やはり晴れ渡ると心が明るくなります。それこそ、青空バンザイ!です。

午後落ち着いてきたら、先日入れて見た「雑魚かご」引き上げてみましょう。
多分「砂フグ」の小々が少々でしょう。(判りますか〜ハハハ、)




山肌は冬モードです。








12月12日:晴れ
そろそろ北西風が強まる頃だと朝から身構えていたのでしたがなかなかやって来なくて、’いわい’第2便が着く頃からじわじわと波立って来ました。何度か体験しましたが突風が迫ってきた時は、それこそ一転空がかき曇り、白波と突風が一気に迫ってきます。
以前鼻繰島で釣りをしていたら古老が船を寄せて来て、「姫島の上に雲の固まりが出来た。船の周りが波立って来たから突風が来るぞ。早く帰れ〜」と。見渡すと近くの船が祝島に向けて黒煙上げて走り出してた。
冷や汗かいた思い出があるけど、最近は無いな〜と思ったら、予報が当らないのは下関測候所と揶揄されていた頃がありました。当時中国大陸の測候情報が無かった?。気象衛星が打ち上げられて精度が上がって予報が的中するようになって汚名返上されたけど、祝島の古老の予報の方が良く当ってたという、信じられないような時代が有りました。
昭和時代の定期船の船長さんがラジオの測候情報を聞いてはいろいろ判断されていたけど、関門当たりの風雨波情報が4〜5時間後頃に祝島周辺に現象される〜と。だから私は今も下関の風速等を聞いては判断情報にしています。 ^^;)














12月11日:晴れ
集落の反対(裏)側にアナゴカゴ入れてみたのですが、”ん〜!”でした。





左から小祝島(こいよう)・孫小祝島(小島・ライオン島)・千丈岳

12月10日:晴れ
’いわい’第2便の出港時の室津港です。






12月8日:晴れ
防波堤付近は凪ぎの様相だったのですが、次第に波立ってくる気配です。
港内の細波が西寄りからになって来ました。高気圧が日本海に入ると祝島は北東からの風波に
なります。少し南を通過すると穏やかな小春日和なのですが・・・・。

昨日お医者さんをキャンセルしたので出かけたいのですがコロナが怖いですね。インフルエンザは来週の予定なので今週出かけておきたいのだけど、何故か気が乗らない〜?。















12月6日:曇りのち晴れ
夜明け前からヤマジ(山路?)が張ってた。〜祝島の山を越えて北東方口に雲が流れ出ると突風が来て時化になるという。〜そんな雲行きの空模様でした。昨夕に半年振りくらいにアナゴカゴを入れてたので出漁を躊躇したのですがなかなか突風が来なくって、思い切って出漁、多少風の卵が来ましたが何とかカゴを引き上げて〜ヤレヤレでした。が、全くの不漁でがっくり。エサにするサンマが不漁でエサに回って来ないのでカタクチイワシを代用したのですが、余計アナゴに嫌われました。><;)











12月5日:晴れ
先日来の北西風が緩んで久し振りののどかな?朝です。ゆっくりと明けて行きました。















夕焼け〜時、夕日が差して赤く染まりました。


祝島の影が上盛山の下半分に係ってました。


かんぽの宿の体育館に夕日が当って輝いてた〜?。





12月4日:晴れ
恒例の行者堂の注連縄作りに参集してもらいました。北西風が相変わらず吹きつけてきて体感温度を下げてくれました。夏なら歓迎ですが寒気がしてちょっと困りましたが、皆さんは平気な顔でした。
歳の差を感じました。><;)

作業は慣れた手順で順調に進み、取り付けも予定通り出来ました。例年早くやらなければと師走の忙しさにストレスを感じるのでしたが、今年は早く出来てほっとです。













誰かさん、すっかり年寄り気分になりました。悔しいけど皆さんは若ぶり?!。







12月2日:曇り時々晴れ
12月になりました。
昨日はまさに暴風雨で定期船も朝昼夕と欠航でした。私も帰島したかったのですが駄目でしたので、今日は昼便(10時30分着)で祝島に帰着。
人だかりしてるので良く見ると体操服の小学生が〜。周りには大人達、聞けば校内持久走だという。
風も柔らいていてナイス・コンディションで応援組もニコニコしてました。
「ガンバレ!がんばれ!」でした。















11月24日:曇り時々雨のち晴れ
ゲリラ大雨でビックリしたのですが、替わりに青空が優勢になりました。が、寒さが増して来た〜?。

西風になったからか白波が牛島近く、祝島から遠くなっていたのですが北寄りになったみたいで次第に近づいて来ました。風も〜。

昨夕には出かける心算で支度して、出かけようと玄関戸を開けたら突如風と共に雨が土砂降り?になって来てビックリ。傘もさせなくって、断念”!。それにしても竜巻ではなかったのでしょうが突風?みたいでした。
意欲を失いました。もうちょっと’様子見’します。

            こちらは雨なのに対岸は日が差しています。













11月23日:曇り時々雨
雲が覆い被さって、しかも北西風が強く吹き通して白波の大時化です。
冷たい風の所為でしょうか、体感温度はかなり低く”寒い〜”風を避けて、とうとう終日家の中で過ごしました。
室津の家で仕掛けた用事をしたくて、三便で渡ります。追い波なので揺れは大丈夫ですが乗船までが少し寒いですね。大分厚着で出かけることにします。



昨日から線香の煙が’ユ〜ラユ〜ラ’と
立ち昇ります。何故〜?。墓地に納骨したから〜?。




冴子がお気に入りだった博多のどんたく人形、少し寂しい表情に!?。

写真左は遺影、右は50歳の時。

11月22日:曇りのち晴れ
前線が通過とかで朝から三時ごろまで小雨が降り続きました。
北西風も時折強まって晩秋から冬への使者だという声も聞こえました。
百ヶ日忌法要も納骨も滞りなく終えてホッと〜、気がつくとボンヤリと流れる白波を眺めていました。




11月21日:曇りのち雨
〜”百ヶ日忌法要”〜
長男や次男が帰宅して、それに親戚、近所の人たちも参列してくれて冴子もビックリしたかも〜。
雨が心配だったのですが降らず、風もおだやかでゆっくりと別れを告げることが出来ました。納骨も済ませて帰ったのですが残されていた遺影がポツンと寂しげに〜留守番?をしていました。
しばらく座り込んだのでしたが、従兄弟の声で ”そうだ、子供らが帰っていたのだった”と気を取り直したのですが、昼食のお膳懐石が美味しそうなんだけどなかなか手が出ませんで、「一段落したのだから一杯飲め」の声に気力を呼び戻しながら、しばしの刻が流れました。
今日は8月17日から凡そ百ヶ日。次は一周忌で来年8月まではお墓参りをします。

約25年間の冴子は闘病でしたが、良く頑張ってくれました。愚痴ひとつこぼさないで耐えてくれたので、今に思えば〜辛かっただろうなぁ〜と・・・・。
「子や孫らのためにも身体に気をつけて長生きをしなさい」と皆さんが言って下さる。
・・・・どうしたら気力が奮い立つのだろうか〜?。










11月20日:曇りのち晴れ
穏やかな天候〜、明日の法事の準備も捗り感謝!!〜。










11月19日:曇りのち晴れ
日の暮れを待ちかねてお月様が東の空に・・・。月食と言うことで海岸通りにも人影が〜。
ウッスラと見えてきた時はまだ暗くなくて、で、月探したのでしたがなかなか見つからずしばし???。
宇宙の神秘を感じいりました。私達は自然崇拝を深めなければならない〜と言われ始めて久しい。
’科学は万能だ’といううぬぼれが地球温暖化を招いたのだと言うのは言い過ぎだろうか。










 11月18日:曇りのち晴れ
穏やかな天候〜、風景も何となくのどか〜。







 11月17日:曇りのち晴れ
ちょっと風が冷たい。何となく肌寒い〜!。








 11月16日:曇りのち晴れ
青天が広がってきてます。が、北西風がやや強く寒気が身体をしばり?ます。










                ご苦労様!。週一回の集荷になったからかちょっと多いですね。

 11月14日:曇りのち晴れ
すっぽりと雲に包まれていましたが昼前頃から青空が広がって来ました。が、寒い〜!。

ここ数年の年賀欠礼の通知はがきを閲覧してみると毎年30枚前後の通知が来ています。
私は欠礼の通知はがきを長年分保管している。ここ数年分だけ見ても、読み返してみるといろいろなことが思い浮かび懐かしい〜。
昨年の着信の年賀状も確認。亡妻が親しくしてもらってた方が多いのにちょっとビックリ。
今年は欠礼のお詫びをこちらが出す側。このはがきを手にされてのお心を想うと感慨深い〜。

早くも?亡妻の法事、「百ヶ日法要」が近づいた。千葉住の次男は帰れないが、長男と三男は帰島すると連絡が入った。コロナが下火になってヤレヤレです。












 11月13日:曇りのち時々晴れ
寒気の噴出しで雲が次々〜と。
雲の白さと青天とのコントラストがとても綺麗でした。けどもなぜか寒くって急いで室内へ。
その繰り返しでした。







 11月12日:曇りのち時々雨や晴れ
島での用事が出来て、二便で帰島しました。今日は北西風が強く吹いていて鼻繰島から大きく揺れてしぶきが大分船体を洗いました。
夕方になってもなかなか強風が治まらず写真の三便が写真を撮るのには良かったのですが、乗客の皆さんは揺れに、船長さんは操舵に注意されたかも〜
所どころ青空も出現するのですが、すぐに大きな雲の固まりが太陽光をふさぎ寒い一日でした。
明日は和らぎそうだけど・・・・。

 















 11月10日:曇りのち雨
雲が優勢でうっとうしい天候です。
でも、降りそうでなかなか降ってきませんが雨雲が低く迫って来ました。今度は本降りかも〜。
PM3:45、雨で本州が見えなくなりました。
三便で出かけなくてはならないので、”ん〜”ですが仕方ないナと諦めです。














 11月09日:曇り時々雨
風が北西から寒気を運んで来ます。薄い上着だとスースーするのですが着替えないで、エアコンの温度も昨日の設定のままで頑張っています。何で〜ぇと独り言。???
素直に動けば良いものを〜、何だか大儀なんだ〜そうです。

今気づいたのですが、温度設定が冷房29℃でした。><;)








11月7日の雑石瀬戸(平生町)の日没。物好きな?カメラマン、ウーマンが10人ばかり・・・。








 11月08日:曇りのち雨
ちょっと長く室津で過ごしました。更新出来てなくって申し訳ありませんでした。

夕方は”雨だ〜”の予報でしたので、慌てて二便に乗りました。慌てましたが忘れ物はありませんでした?。 (ホントかな〜?!)〜(^^)    やはり、午後からは雨で久し振りの雨音がしています。
南東の風なので、私の家は台風でも網戸で居れるくらいなので平気なのですが、背後の山の樹木の枝葉大きく揺れています。せっかくの紅葉が落葉してしまいそう。
 
 先日苦吟した一句。 俳句会で頑張りました。
  紅葉(モミジ)映え  名前さ迷う  八十寿(ヤソジュ)道  
             
 先日、せっかく綺麗な人に出会えたのに名前が浮かばなくって〜   ” ん〜〜! ”







風が強まって、ヨットが猛スピードでーー。アッと言う間に通過しました。





 11月01日:晴れ
荒天の日を思い出そうとするのですがちょっと浮かびません。北海道は良く荒れていますが、引きかえわがふるさとは好天続きです。

選挙シーズンは自公が大勝利でしたね。
NHKのニュース登場の各党首、おっしゃることは有権者の心揺さぶる名文句の序列ですから優劣簡単にはつけられませんが、見栄えの方は一種のコンクールですから、その順番で当選者数が出たように思えるのですが・・・・。伸び悩んだ立憲さんは、事あるときは頼れそうですが何時も強面だったことが親しみにブレーキだったのかも〜。自公さんは悪役?が隠れてしまって良いことばっかりで〜。








       2021年(令和3年)10月31日までの出来事は「あしあと」でご覧下さい。

 
 現在、瀬戸内海を見渡した時、かつてこの下に、大草原や湖があってマンモスゾウのファミリーが悠々と闊歩していたという話、にわかには信じがたいかもしれません。氷河期から暖期へと悠久の時が流れ、いつしか草原が海となり、高い山々の一部が島となって、多島美を誇る瀬戸内海を形成しました。
 やがて、黒潮が豊かな自然の恵みを運び、素晴らしい大自然を私どもに提供してくれました。この良き環境を後世に伝承することは、今を生きる私どもの大きな責務だと思います。
 この祝島も、貴重な遺産の一つ。今一度島内を巡り、祝島を写真で順次紹介してまいりたいと、ホームページを開きました。
(橋部 好明)

リンク
「祝島ホームページ」
おらがホームページ(多趣多芸の木村先生の日記は面白い)
祝島市場ホームページ(特産物関連のニュースも沢山)
         

 
上関町今日明日の天気
山口の雨雲の動き(レーダー)