〜 2020年08月の出来事 〜


8月31日:晴れ

凪が続きます。凪は歓迎なのですが、北上中の台風9号さんは強風が自慢のようだけど・・・。
2日から3日に掛けて対馬海峡当たりを通過して日本海に入るコースだと、祝島にもかなりの強風が吹きそうで、今までのようにノンビリと通過を見てるような訳には行かない〜かも。




もう台風避難体制のようです。


8月30日:晴れ

穏やかに明けて行きました。けど上空には薄く雲が広がっているようで、昇る朝日の陽光がきつかったのですが、すぐにおぼろに替わりました。













8月29日:晴れ

今日も一日が早く経過しました。’終活’ではないのですが暑いのでエアコンをオンにしたら、心地良くなって、”もったいない精神”で室内の片づけをやり始めたのですがやれば隣の棚が気になって、次々と広がって行って、今度は室内がゴチャゴチャ〜。 ヤレヤレ・・・ ><;)






新庄造船所の棟梁さんが、ニコニコ顔で〜。
宮島管弦祭のミニ櫂デンマを作ったよ〜と。
「本物そっくりだ」というと「本物だ!」と苦笑い。
10分の一の縮尺だという。
近く盛装するという。楽しみ楽しみ〜。 ^0^)




8月28日:晴れ

”世相が大きく変わる〜””
大写しのテレビ画面で、名高い評論家?の先生方が昼前まで、辞任は四分六分〜イヤ五分五分だと口角を飛ばしていた。もっともらしく理由を付けて〜。
ディレクターか司会か分からないけど詰問されての仕業だろうけど、思っていてもズバリは言えない立場だから、放映中は一点には切り込めない〜。
結果は分かっていた〜とおっしゃる御仁も居られたかも〜。
辞任したとしか分からない今の自分には、右往左往するテレビ局の永田町のレポートを拝見しましょう。
米国流にオープンに遣り合う方がスッキリするのになぁとは行かないのが日本流。
いつの間にか流れが出来て多数決。幹事長一任という宝刀が威力を発する。

祝島に二便で帰りました。
ストップしてた”終活”に、本腰を入れなければ〜と思いつつも五時の記者会見を先に見ましょう。




オヤッ、灰鷺が日当たりしてる〜と思ったら・・・。





8月25日:晴れ

台風予報が出始めると、来るかな〜と緊張するのだけど最近何時も期待?ハズレ?で・・・・’どうなってるの?’と不満が〜?。ニッポンの南方海上に強い高気圧が居座っていて猛暑を演出、熱中症多発警報と対峙してるようですが、祝島から見れば大回りの進行なので被害もなくラッキーというべきかも〜。

これは驚きました!。海が光ってる?。












ど根性〜です。







8月23日:晴れ

天気は好天続きなれども、骨折して1ケ月なのに今一の体調〜、コロナ、熱中症への感染で騒動するよりか”まぁ静養に努めて〜”と思いつつ、気力が衰えてしまいそうで・・・。
このくらいで済んでよかった〜と素直に感謝しなければならないのだけど、「冬時期の時化続きの時なら良いのに〜」なんて、手前勝手な罰当たりの性根、もう痛い目に会ってるのにまだ反省してません。














8月22日:晴れ

今年はモクモクの入道雲がなかなか出現しません。
対岸の光市室積の上空によく現れるのですが、今日もまたすぐに流れ雲になってしまいました。
夕暮れ時、ふと見れば、天女が泳いでるかのような優雅な姿でご挨拶してくれました。  ^0^)






8月21日:晴れ

夏バテという言葉が珍しい頃に、気温が40℃を超えるなんて言うとホラに聞こえてましたが・・・。
それが現実になって、昨夜も廊下に出て、風呂の引き戸を開けたままだったのかな〜なんて錯覚を起してしまいました。そして今、室内温度を30℃に設定していて室外に出て暖気に取り囲まれるとビックリ。
エアコン入れないと熱中症状になるとニュースでも繰り返してますが、電気料金倹約よりか今は健康第一で過ごしましょう。

最近お医者さんへの出入りが多くって、更新が間間ならないことが重なり恐縮です。
にも関わらず、度々繰り返しアクセスをして下さり、なのに眼新しいお知らせも少なくって・・・。(〜.〜;)

週二回の生ゴミの収集なので助かります。
最近カット野菜を重宝に使ってます。





8月20日:晴れ

写真探していたら、2004年6月21日にこんな場面が残されていました。
台風接近で、東港の漁船も西側に暴風避けて避難して来てた時の模様です。
当時は集合すると沢山の船だったのですね。









8月18日:晴れ

猛暑、極暑・・・なんて表現が日常的に?使われるようになってしまったこの頃、体温より高い中での身体って対応能力があるんだなぁ〜と感心してしまう。後は’気合だ’でしょうか。
衛星からの写真、日本の南方海上に雲がなく照り付けているのだから、その暑くなった大気が流れ込んでくるのだから、暑いはずですよね。それにシベリヤ高気圧がかぶさって・・・。
用事が出来たので出かけようかと玄関に立つと、やや引き気味に〜。
それこそ’(’気合だ!’)〜かな。









8月17日:晴れ

観測史上初の高温観測〜という。滲じみ出る汗をエアコンで抑えながら、甲子園の熱戦の観戦。
球児達の表情が柔らかくって、こちらも緊迫感なしで楽しめて、今回の集いは大ヒットですね。
勝っても負けても惜しみなく拍手が贈れてコロナ禍を忘れます。

国連事務総長が今世界は大変重大な局面に立っていると話されていましたが、自国第一主義の指導者が多くなってしまいました現状を、国連主導にしていかなくては、わが国は守れなくなるのではと素人の考えだけども、地球脱出なんて出来っこないし、分かっていても滅亡危機が迫って来ても、こぶしを降ろせないなんて、悲しい時代になりました。

雨風に耐えながら〜根性で〜










携帯電話機カメラのパノラマ : 自宅前の祝島港の夕暮れ



8月16日:晴れ

連日猛暑日予告だけど、この異常気象に慣れて自分で健康守らねばなりません。
エアコンもフル活用です・。

ここのところコロナ禍ニュースが主役ですが、水害被災地は想像しただけで気の毒ですね。
屋上の土間の部分見わたしても、あの働き者のアリの姿が見えません。
凡そ100u有るのですが、初めての現象です。

という私も疲れが溜まったのでしょうか、食欲なし。13時を回ったのですが座ったままです。

屋上に昇ってパノラマ写真を撮りました。
方向 : ↓ 南西

方向 : ↓ 南東

方向 : ↓ 東

方向 : ↓ 南

方向 : ↓ 南

方向 : ↓ 北西

方向 : ↓ 北

方向 : ↓ 東


オマケ : 降りる時またもや転落〜寸前でした。><;)



洗濯ものを干した後冷蔵庫の貯氷室を開けて取り出しました。
炊事したり掃除したり干し物を取り込んだ後など、引っ張り出しては
涼を求めてはいただく家内の貴重品でした。
これを残して、病院や介護施設を転々とするようになって
もう五年余。
今日はたまりかねて’失敬’しました。


8月15日:晴れ

用事を頼まれたりして、一週間ぶりに出かけました。重い買い物もあったので自船で出かけました。
買い物も店内ではほっとしましたが外気は、当然猛暑。程ほどにして室津港へ。
荷物を積み込んだら、もう汗ダクダク!。釣りしてた人が心配そう?にして下さったので、手を振りながら出港して帰島しました。
缶ビールが旨いぞ〜!と開けたのだけど半分しか飲めなかった〜。途中西風が強まりバタンバタン〜とピッチングして、荷物がガタガタ。スピード落としてゆっくりと。









↓ 上関港




8月14日:晴れ

空はまさに紺碧色です。写真を見てなおさらに吸い込まれそうな錯覚です。
しばらく好天気が続くようで、神舞に想いを馳せると、アァ〜〜と知らず声が出ます。
暑中はがきの返信が来るのですが、"残念です。来年にはぜひ盛大に〜”とお声が掛かり、期待されてる神舞だなぁと嬉しくもあり気合が入ります。

正午のオルゴールの音が流れました。
ふと75年前が浮かんで来ました。1945年8月14日、光工廠への米軍艦載機の空襲です。
家の前の海で泳いでいたら突如轟音が〜、見上げたら山惣津からトンボの群れ。グラマンの姿なんか知らないので大きな’トンボだなぁ’〜と。それが空一杯に広がって〜・・・・。
まだ海に腰辺りまで入ってボヤボヤ見上げていたら、母が飛び込んで来てあっけに取られてた私を横抱えで家の中に走りこんだ。何時もは野良に出かけてる母が居たのにビックリ。(後で思えばお盆だった。)
満四つになったばかりの私には夢の如しで、煙の上がる光市の黒煙とトンボの群れが舞い上がる様を母屋の屋根によじ登って眺めてました。母の早く降りろの声。爆撃を終えたグラマンが上空を飛び交ってた。(父母は他日爆撃帰途のグラマンに銃撃された経験があるのでカナキリ声だった)。
祝島から30名ばかり学徒動員されていた子ども達の中で17人が終戦の一日前の日に死亡した悲しい話です。先の広島、長崎の原爆投下もこの小さな工廠爆撃も、敗戦ではない終戦だと言い張る軍部を抑え切れなかった大本営の混乱が多くの人を死に追いやったんだと想うのだけど・・・。沖縄戦で住民に洞窟に隠れて抵抗させた参謀の言い分「本土決戦の時間稼ぎ、住民の死は無駄にならない」との考え方。それが戦争だと涼しい顔をしてた人が巣鴨から無罪釈放され、戦後要職について頬カムリした話、あれこれ耳にしましたが〜。
手榴弾で死を選んだ人たちに弾を渡した連隊長さん、死にたいというから死なせてやったと嘯く顔がテレビでアップされて、唖然としましたが・・・・。
(空襲の日は晴れてましたが、爆撃の煙で上空曇りました。兄も動員されていたのですが無事でしたが、戦死?した子や亡くして泣くその親達と一緒の船で帰島したのだけど、もうやりきれなかったと、母は泣きながら一度だけその話を聞かせてくれました。)













今年の盆踊りは中止です。やぐらの予定地はひっそりです。



8月13日:晴れ

例年でしたら臨時便が就航して船着場は賑わうのですが、昨日も少なく今朝の便も5〜6人〜?。
お土産がコロナでは〜と、どなたも遠慮なのかな?。

山口県も感染者が増加して来てるので、三男が帰省を打診してきたのだけど、”ん〜〜?!”で、様子見となって〜。
冷蔵庫が軽くなってしまったし買出しに行くと良いのだけど、昨日タコツボ揚げに出たのだが、私は操舵しただけなのに身体が火照ってきて、暑くって〜?、帰港後大急ぎでシャワーを浴びて休息したりでやっと落ち着いてきてヤレヤレでした。

今は海は凪ぎで風も無く余計に暑さを感じてます。
第二便が帰ってきました。が、やはり少数でした。〜せっかくワシが引っ込んだのに〜と雷さんはオカンムリ〜!?。

















’いわい’第1便  第2便


スピードが出ない原因が分かりました。


8月11日:曇り時々晴れのち雨のち?

今月に入ってから”平和”についての様々な放送が続いている。
8月6日の広島の原爆犠牲者の慰霊式典関連を一時間余りを通して見た。何時もダイジェスト版というか編集をしたのを見てきただけに広島市長の平和宣言も新鮮に聞いた。投下75年という事でか総理退場までをすべて放映された。市長さんや子ども達の言葉が心がこもっていただけに、淡々と読み上げる総理の言葉や表情はうつろであった。
これは、違う番組だったけど、学徒動員された13歳の少年が米畜とののしり特攻に志願するという場面があったが、昭和時代に入ってからの学校教育が軍国主義に染まってきた怖さを感じました。
敗戦と言わないで終戦と言い続けて来た日本の国民性を危惧したわけではないでしょうが、米国は教育委員会制度で、国に支配されない教育を〜という狙いがあったのでしょうが、次第次第に文科省が押し付けの教育に舵を取ってしまって、首長(県知事や市町村長)に直結する教育長制度に変更してしまった。首長に指揮されない教育委員長が邪魔になったのではないと信じたいのだけど、総理がコロナで休校を〜と言ったら、忖度して全国一斉の休校となった今回の学校教育の混乱は、教育現場の独自性のひ弱さを露見したという元県知事さんの新聞投稿を見て、これは偏見ではないなと思いました。
これは余談ですが、私は四年前上関町教育委員長を任期満了で退任しました。山口県で最後の委員長で、確認しませんでしたが日本でも最後の委員長だった〜?。日本の教育委員会制度の大きな展開期でした。

昨日の強風の影響が残ってる港内は一斉にお休みです。見上げると後ろの山から雲が湧き出たように流れ出ます。7号台風が追加され、熱低が昇格を待っているようです。
せっかくのお盆休み、甲子園の熱戦を観戦しながら涙する若人たちの姿に貴方も浸りませんか〜。








8月10日:曇りのち〜

無理やり台風にされた?様な5号、まだ暴風圏も形成されてないみたいだけど中心付近で秒速18メートルはクリアしてるみたい。7月は台風発生ゼロ、8月発生の4号はあっという間に通過。
5号は日本海に入ると温低になるとかで焦ってる〜?。だけど最近は強風被害よりも豪雨が目立つ台風、やはり異常気象なのだろうか。今度も北日本は大変ですね。
南東風が海面を北に移動させています。午後に対馬海峡を通過時には風が強まるとか〜。


                   今朝は乗客も少なく・・・。










8月08日:晴れ

二、三日前までは夜中にアッイタタ・・という感じで何度か目覚めていたのですが、今朝は「アレ、朝だ!」という感じで眼が覚めました。だいぶ回復してくれました。ヤレヤレ〜です。
道路を歩いていたら、何となくふらつく感じがして、メガネの所為かなと思っていたのですが、どうも体調の衰えみたいで、’ん〜?!’です。鏡見ると、下腹のでっぱりが胃のあたりも含めて成長?してるみたいになり・・・。><;)
もうすぐ70代は、取り返しの出来ない歳となり、自由に動き回ってた世界がだんだん狭くなる〜と思うと
憂鬱になります。

草花が大好きだった家内が、朝早くベランダ続きの花壇に出ていたので、行けない様に鍵を掛けますという、お世話になっているケアハウスからの電話があった。
「ケガしたらいけませんので〜」と優しい心遣いだけど、涙が出て止まらなくなった。二時間位前だったのだけど、今も思い出すと涙が止まらない。止めども無く流れ出る。特定疾患の難病で発病して二十年。
少しでも良くなればと病院を巡りまわって、先進治療というので手術までしたのだけど進行が止まらず
不自由な生活を送ってる。オンとオフの体調を交互に繰り返し二十時間くらいは寝て過ごすという。
そうした中で目覚めて見つけた花、「まぁきれい〜」と愛でたのだろうか。何時もガラス越しなのに、手で触ったのだろうか〜と。思えば涙が溢れ出る。
それなのに、何で私はこんな身体になったのだろうか〜愚痴ポイことを決して言わない家内。
今お世話になっている「苑」は良く整備されていて、職員さんたちも若くて元気で明るい。安心して預けられる施設で申し分ないのだけど、インフルエンザからコロナと続いていて面会出来ない。
かと言って、家庭介護、老々介護はとても出来ない。
夕刻になると、ご夫婦で散歩されてる人が何組かおられる。「君は苑に行けば会えるけど、オレはもう探しに行っても会えない」という知人の目に涙があった。
                〜面会解禁〜を願いながら・・・・。







8月07日:晴れ

50年に一度の大雨とかの予報が流れてる東北地方や北海道〜、引きかえこちらは柔らかな日差しの祝島周辺〜、近年他地域との落差が大きくなって来てるようですが、これも雷さんのいたずら〜?。

一時雨の予報が混じっていたので出漁を辞めて庭木の伐採を〜と始めたのですが、よく伸びていてコンテナ八杯も。ついでに2`先にある処分場まで運んだら正午を回って終った。
痛めてる骨折箇所をかばいながらでしたが、ヤル気の方が勝ってて、とうとう手が上に上がってしまってたのですが、リハビリになったのかも・・・。
急いだのでその分疲れました。昼食後ちょっとのつもりで横になってたら寝過ごして、なんと15時まで。
今まだボンヤリしてて筆が進みません。><;

















8月05日:晴れ

3日、整形外科に再診察に行きました。朝出かけたのですが患者さんが多くって・・・。
自分をさしおいてですが、体調不良の人が多いですね。日本の医療体制充実に感謝しなければならないなぁ〜とつくづく・・・。
幸いコロナらしい人はいませんでしたが、皆さん上手に「3密」を避けていました。時間はかかりますが間隔を開けての診察室の出入りもOKでばっちりでした。2時間近く待ったのですがまだまだのようなので午後に切り替えてもらって他用に行ったのですがこれもスムーズに終えました。
4日、家内への差し入れも終えて二便で帰ろうかと予定してたら、急に用事が入ってそれをしながらついでに掃除もとなって、慌てても仕方ないのでゆっくり〜で、帰島が今日の二便になりました。

’いわい’が颯爽と〜。滑るようでした。










8月02日:晴れ

猛暑日の予報が並んでいます。
そして台風4号の発生です。位置はまだ先島諸島のようですが、今度は大雨に続いて暴風との対応が余儀なくされます。
日本の四季の変化を楽しんでいましたが、自然現象でも災害がレベル・アップなのでノホホンとしては居れなくなりました。










8月01日:晴れ

前々からやってみたいと思っていた「絵はがき教室」に途中参加が出来るという回覧が先月出ていたので申し込んでいたら、許可が出て、今日が初回。

会場の上関総合文化センターの研修室に行きました。
四階楼、学習館のまん前のステキなロケーションの教室で、まずそれに見とれました。
久し振りの絵筆の感触に戸惑いながら、研修時間があっという間も無く終わりました。











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