〜 2021年08月の出来事 〜

スマートフォンが壊れたので新調しました。
番号は今まで通りで「090−4824−2255」です。

 8月31日:晴れ

”静寂〜”、なんでこんなに静かなのか〜と、回りを思わず見回しても難聴の耳には音が入りません。
海も凪ぎです。漁船も港内に係留されたままです。
ここまで書いたのですが、次の言葉がストップしたままで〜〜。













↓ 一瞬。シャッターが遅れました。




 8月29日:晴れ

いささか・・・夏バテか〜?!。。。。

今日は、弔問にお出下さった方達としばし”冴子さん談義”。
夕方ウォーキングに励んだとの、家内との思い出話を懐かしく聞きながら、元気を保たねばと懸命だったのだなぁ〜と胸が痛みました。ちあきなおみの’喝采’を歌ったゆうわ苑でのカラオケ教室での楽しんだことも話題となって、遺影の前で心が揺れました。
辛い療養生活に耐えながら必死に明るく振舞ったのかと、心を推し量りながら、十分に支えてやれなかった悔いが残り、面会を遮断されたインフルエンザやコロナ禍に悔しさが残りましたが、家内を偲んで下さる方が多いのが、思えば慰めになります。

臨終前の静かで眠ってるようなあの刻が思い起されてなりませんが、握った指を握り返す余力がもう無かったのか〜〜。
「ご臨終です」と告げられた時に、薄く開いてたまぶたがいつの間にか閉じられて目じりに涙が〜。

急変で子供も孫も間に合わ無かった、あのシーンがついつい想い浮かんで来て、先程も遺影に話しかけましたが返事は無く・・・・・。私も一人ぽっち〜。

















↓ 以下は午後です。











上と下〜、どちらが涼しいのでしょうか?







 8月26日:曇りのち晴れ

台風も熱低になったようで、好天かと期待したのですが、雲の優勢な不安定な一日となりそうです。

スマートフォンの液晶画面に色が漏出し出して来て(一昨日夕)、今朝は画面全体に広がって判読が出来なくなりました。何故こうなったのか〜?。

明日は胃カメラ検査の予定なのですが、これから二便で出かけます。











大気は不安定のようです。



 8月25日:晴れ

死後もう一週間も過ぎました。やりたいことばかりなのに手につかず、いたずらに時間を浪費してしまいました。
バイクをガス欠で船着場の傍においていたので、今日は朝から心準備?してたのでガソリンを無事に購入して、蓄電のため長磯海岸を試運転、風が心地良かった。

長いこと更新できませんでしたがやっと〜・・・・。

「参列できなかったので、葬儀の様子をWEBで発信して」という声があったので一部を掲載しました。
不愉快な方も居られるかなと心配ですが、身勝手をご勘弁下さい。

午前中はゆったりと刻が流れていましたが、夕方近くでにわか雨。布団干していたので慌てました。















 8月23日:曇り

周南市の社会保険事務所に長男が車で迎えに来てくれたので年金の手続きに行きました。
予約しなければいけないのに、ぶっつけで行ってしまったのですが、好意で対応してくれました。
〜感謝!。〜

スマートフォンの調子が変になりました。
急用の方は「09057048080」へお電話下さい。




 8月21日:曇り

諸々片づけをと思って室津に出てきたのですが、今日は土曜日で「アレ〜ッ!」でした。が途中エンジンがかかりましたが、すぐにエンスト。気合が抜けました。





 8月20日:曇り

墓への納骨は準備は出来ているのですが、少し先にします。
せっかく家に帰ったのだし、私も傍において話しかけたりして、しばらくノンビリさせてやります。





橋部の墓にもお花を立ててくれたりと守ってくださってる
Aさん宅のお墓が近くです。


 8月19日:曇りのち晴れ

告別式・葬儀と滞りなく静かに行うことが出来、感謝〜。
終了後、チャーター船で祝島へ〜。参列した長男と三男は室津港で見送ってくれました。
次男は千葉県在住なので参列は取りやめましたが、コロナ禍ではいたし方ないです。

着くと大勢の皆さんが出迎えて下さって感激しました。荷物もさっと運んでくださり、ありがたく胸が一杯になりました。


自宅の仏間に安置出来ました。
「祝島に帰ったよ」と皆さんが声かけてくれました。

 8月18日:曇り

昨日(17日)朝9時前ごろ家内の入院先から電話。「呼吸が乱れた〜。至急来院されたし。」と。

慌てて飛んで行きましたが、すでに危篤状況でしたが、苦しげでも無く静かに眠っていました。
「朝早くから検査など繰り返しているのですが悪いところが無いのに、心拍の乱れが治まらず次第に動きが弱まってが来ています〜」と主治医の先生。今夜が山かも〜とおっしゃるので子供たちに連絡するために控え室にいたら、早くベッドの傍へ〜と緊急連絡。

見かけは替わりませんが間もなくかも〜と小さな声で・・・・。pm3:00前から弱まる息づかい。声かけてあげて下さいと看護師さん。かすかにまぶたが動いたようでしたがそのままに〜。
8月17日、3:52でした。
ふと、よく見ると薄く開いてたまぶたが綴じていて目じりにうっすらと涙が〜。手が次第に冷たくなって行きました。

"さよなら冴子、良く頑張ったネ。もう薬を飲め・飲めとは言わないからね”とつぶやいたら、何だか頬が緩んだみたいで・・・。辛かったんだろうなぁ。




準備前の会場


できるだけ少人数で〜ということなので、公示もせず家族で見送ろう〜と
思ったのでしたが、それでもいろいろなお方や思いがけない方たちが
お参りして下さって・・・・。


 8月16日:曇り一時雨

午前中はゆったりと刻が流れていましたが、正午前後には雨が〜。
夕方は雲が多くなり山惣津に雲が懸かりました。明日はまたまた雨との付き合いです。











 8月15日:曇り時々晴れ

室津の生活が長くなったというよりか、自分の通院と家内の病院への日参?と三男が盆休暇で室津宅に帰宅したりで、祝島の盆が後回しになってしまいました。
二便の’いわい’で帰宅しましたので、とりあえず、祝島のお墓参りと寺参りをぎりぎりで済ませてヤレヤレとほっとした次第です。

仏壇は先月の法事で開けてましたので、「好明は何処へ行ったか」と御先祖のお怒りも半分で堪えてもらえたか〜と勝手な解釈でご勘弁いただきました。 ><;)












 8月08日:晴れ

オリンピックも熱戦と言いますか、お互いが全力でぶつかる対決が見られ、少々消極的になってしまった自らの日常生活に”活”が入ったのなら良いのですが・・・。
生憎台風さんがお邪魔虫よろしくやって来て”迷惑”を掛けてくれてますが、まぁ花を添えてくれたと笑えと言われたら、一寸歯がゆいですね。

メダルがラッシュでしたが、その影には血のにじむような努力があったこと、覚えてて次世代へ・・。

台風準備完了とは行きませんが一応終えたので、二便で室津へ〜。
退院して、次の病院を探していたら、家内の再入院可の連絡をいただいてほっとしました。
もう、回復が見込めないのに、余り連れ歩くよりか静かに看取ってやりたいと思っています。
















 8月04日:晴れ

五輪とコロナで明け暮れる昨今、もうすぐ10時になります。
今朝は5時前に目覚めてボンヤリ、そうだ暑中はがきをいただいてた〜と思いだしたら気がかりになって飛び起きて?、何時もの血圧体温血行・・・etctと異常なしの数値が計測されてヤレヤレ〜。
それからもう五時間。
オリンピックも勝ち負けの悲哀を、勝って泣き負けて泣きで大変〜?!
「世界一のシンボル」ですから懸命ですが、勝ちか負けかの世界ですから辛い世界ですね。

昨夕の’いわい’第3便で帰島しました。ところが急いで発ったので、眼薬を忘れてしまって〜><;)。
前回も忘れて島滞在を切り上げた経緯がありましたので薬は準備したのでしたが、バックに入れてなくって〜、ア〜ァです。目薬なので、手術の後なので射すのを止めたら影響大なので、今日も切り上げて二便に乗ります。〜泣きたい〜。














祝島城〜?
上の写真に良く似た石垣が残されていました。(2021・7・24)
ドッシリした民家が建ってましたが、今は石垣が寂しそうです。

祝島小字西岡村地区に有ります。
古代、繰り返された火山噴火で積み重なった安山岩と土。
永い歳月、度重なる豪雨で土石流もあったことでしょう。
その都度土は海に流され、残された岩石が積み重なって
岩山になり「岩見嶋」と揶揄されたとも〜。
祝島人は山頂、中腹から平坦地に移動を始め、傾斜地には
石垣を積み宅地を造成したと言われています。



















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