祝島には、一時期岩見嶋と呼ばれたことがあります。
その理由は定かではありませんが、岩石ばかりで、耕作する畑が少なく、年貢を納めるだけの力がありません。
それをアピールしたのでは、と勘ぐってしまいそう。
でも、現実には、土少なく、岩や石ころの隙間に土がある。しかも45度に近い、急傾斜地ばかり。
流失する土を食い止める手段として、石垣を積み、平坦地を作り、繰り返すことにより、段々畑が出現した。
そして近世。高地性集落が、中腹、低地へと移行して、居住区が海岸へとなった。
そして、石を整理する過程で、石積みの練塀が出来た。

5月31日:行ってきました。佐田半島。
最西端の佐田岬灯台まで行きました。
あいにくの小雨混じりの曇り空。期待していた祝島遠望は、「アレかな?」という程度。
中間にある八島が、見えただけに、とても残念でした。

防風壁。まるで、砦。高さ4メートル、幅140メートルとか。
5月28日:明日29日と30日、四国佐田半島三崎町へ行きます。
練塀の視察です。
祝島と似たような練塀があるということなのですが、ハテ?


平さんの一番上の田圃から。
この向こうに、佐田半島があります。三崎から見た祝島。想像しただけでワクワク。
霞なく、見えるといいナ!

佐田岬練塀(石垣)続報;まず眼についたのは、石が緑色していて、綺麗でした。
石の成分に、銅が含まれているからだそうです。
石は、平たくて、丸形は余りありません。そして全体に小さくて、石碑とかには、大きい石を使ってましたが、多分持ち寄った様子でした。祝島のように、石がごろごろという、感じでなくて、あちこちに、石を積み上げてはいませんでした。

      八幡神社の練塀:防風目的の畑を囲む石垣


牛舎跡の外壁:内側は、泥壁

名取集落の共同貯水池:急傾斜地なので、水は貴重だった。



ハネだしの石垣:少しでも土地を広く使うため、扁平な石を差し延ばして積む。


植物は、祝島とソックリでした。豊後水道を北上する、暖流黒潮で、つながってる。
そんな思いで、見て回りました。


佐田岬の植物:祝島とよく似ていました。サボテンとドクダミソウ


ハマボックスとハマヒルガオ


国指定天然記念物アコウの大樹:根回り14メートルとか