〜 2006年6月の出来事 〜


6月30日:曇天:午後2時、朝方より明るくなりました。
午前4時起床。時間作って漁場へ。次第に波立ち午前9時大粒の雨。
この雨で、一斉に引き上げました。昼食後、ちょっと横になったと思ったら
寝てました。半寝ぼけの状態から徐々に目覚めています。
海岸通り人影もなく、静かな昼下がりです。









6月29日:陽ざしは炎天。
窓からは、さやかな風が流れ込みます。昼まで海上にいたのですが、
テントの下、心地よい風なので、とうとうお腹が空くまで頑張りました。が
釣果は全然駄目でした。「釣れたから頑張ったのでは〜?」に、ショック!!
今朝、東の方に用事で出掛けましたら、子猫がじゃれ合っていました。
つられて私も参加。余りにも速い動きに翻弄されました。




















なんと、疲れたのか居眠り始めましたので、私も退散!


6月28日:曇ってはいますが、明るい空です。
前線が、南に下がりますと、祝島は風無く海が穏やか。
台風2号発生とか。また前線が刺激され大雨かも。昨年も7月に入って
良く降りましたね。





釣客さん、隠し撮りしたみたいでゴメンナサイ!









6月27日:今日は梅雨の一休みでしょうか。
祝島上空スカイブルーが散見されますが、雲が次々と流れ出てきて
太陽を覆ってしまうので、出らでません。よって私もカメラ構えたまま
50分近く。せっかくの朝なのにイライラしても仕方ないのですが、
消化不良の朝の様子になりました。















6月26日:連日の雨、いささかウンザリ〜。
梅雨冷えなんでしょうか、半袖だと少し肌寒い。
ラジオからHNKの朝の体操が流れてきました。ビックリしました。
ラジオ体操のリズムに追いつけない。体が硬い。とうとう置いてきぼり。
自分のペースで、動かせば良いんだと、ついにマイペース。
後は適当に。
それにしても、運動不足を痛感しました。でも体がなんとなく温かくなりました。
皆さんの体操は?! ご自分のリラックス法、ご紹介下さい。

「いわい」が出港したら、雨足が強くなりました。雷が鳴っています。
蛭子兄弟、今日は保育園にお出かけ・・・?!



どんよりと厚い雲が覆っています



6月25日:雨の一日となりそうです。
玖珂町の友人達が、遊漁に来る予定だったのですが、雨で中止しました。
久しぶり会えると、楽しみにしていたのですが・・・・。
魚釣りは、合羽着てするよりか、麦わら帽子をかむっての方が快適。そんな
スカイブルーだと、交わすビールも美味い!!!



対岸の牛島平根崎からの祝島。昨日午後は青空が久しぶりでした。
夕焼け期待してたのですが、後雲が覆ってきて、残念。



6月24日:朝焼け・・・・しばらくしたら、またどんより。




昨日は、また、テクテクと志通津海岸へ。


先客がいました



何しに来た。こっちは命がけなんだぞ!!



22日とはうって変わって警戒心が非常に強く、私が覗くと、
一目散に沖に向かって泳ぎ去りました。

多分、今日24日産卵してるのでしょうが、遠慮?しました。
その代わり、ママコノシリヌグイの開花に出合いました。
まさに、金平糖!!



6月23日:暗い梅雨空、時折、強い雨が音高く降ります。
海面は、茶色。





6月22日:第2報
クサフグ産卵・・・・5回目でついにゲット!!!
今年も、神秘な自然の営みが、祝島志通津海岸で有りました。
前潮(約15日前)で三日間頑張りましたが結局駄目。
この潮も、昨日出かけたのですが、午後4時半過ぎてもなにも起こらず、
潮が満ちてきて通れぬ所が出来、岩崖をよじ登ってやっと帰ってきました。
そして今日、降りしきる雨。こんなに降っては駄目だろうなと独り言良いながら
それでも、気になって窓越しに見る雲。
どうせイライラして気になるのなら、現場、現場!!と思い直して、合羽着て
出かけました。濡れていて滑る石。慎重に足元を見ながらBポイントへ。
(勝手にポイント作っています)。着いたのは2時。
岩の上に上がって30分くらい。チョロチョロと通りすぎた魚。
アレッ、確かに今のはクサフグ。しばらく目をこらしていたら、またスーと。
「ヤッパリ、クサフグだ」思わず胸が高鳴りました。集団が右へ・・・また右へ・・・
Cポイントかもと立ち上がりかけたら、今度は左に移動する群れが・・・。
落ち着け落ち着け、一昨年はここだったではないかと言い聞かせて、
動かぬことにしました。それが結局良かった。
諦めてかけて、時計見たら3時13分。雨は降るしあと30分だなとブツブツ。
すると、打ち寄せていた波音が何となく静かになり、そういえば、去年も〜と左を見たらなにやら跳ねてる。「始まった・・・!」岩から飛び降り一目散。
ワァ、いるいる・・・。
雨で濡れるからと、ナイロン袋に入れ、レンズだけのどけていたカメラ。
邪魔になったのでしょうね、袋は何処かえ飛んでました。
カメラはあ〜ァまた濡らしちゃったになりましたが、さすがに新品は持参出来ず
先々代のデジタル。
写りは今一かもと、新しいのを持ってくれば良かったと悔やみながら帰途に。
ところが出来映え、マァマァでした。古カメラさん、丁寧に拭いてもらって、
今乾燥機の中から、こっちを「どうだ!!」とばかり見ています。







暗いのでフラッシュたいてみました。


波(海水)が来るといっせいに、パシャパシャ





6月22日:昨夜、突如として降り出した雨が夜明けと共に止みました。
今日の予報は、雨ですが・・・・
昨日、田浦湾のキスゴ(白キス)を釣ってみました.小さいけど20匹くらい。
先日船上から見ればいたので、釣れるかもと下げてみたのですが、やはり
釣れました。
仮桟橋が設置されていました。


クサフグの産卵予定頃なので、昼食後、出かけましたがこちらはハズレ。



傷心して引き返す途中、気を取り直して「ケグワ」の樹の下に。
「有りました、桑の実。」白から赤くなって、そして熟すと黒っぽくなる。
黒くなると食べ頃。でも、手が届かなくて・・・サルカニ合戦のカニの悲哀を
味わいました。







6月21日:夏至・・・・・あの強烈な日の出ではありませんでした。
待つこと25分、やっとのどいたのですが雲に覆われて、「仕方なく」といった
感じでした。港内の動きもゆっくり。陽の動きに合わせてるかのようです。
天気は下り坂。沖縄がはれたようなので、こちら、いよいよ梅雨も本番か。
昨日は、船底清掃で上架するために、室津まで自船で行き、その足で広島に
行ってきました。街行く人はもう夏姿。
ファッションに見とれて、けつまずき冷や汗。田舎者は困りますね。
小泉さんの言い分ではありませんが不景気でしょうか。?!
生鮮食品売り場は盛況でした。







今朝の別れ





6月19日:陽ざしは夏。木陰に入ると心地よい風が流れています。
魚釣!写真!と一瞬迷いましたが、気がつけばもう高台に向かっていました。
広がる海が、徐々に目覚めていく様はいくら撮っても飽きませんね。
ナワシロイチゴが熟れてました。

















6月18日:どんよりと曇っています。
夜明け前、小雨が降ってたみたいです。次第に明るくなってくるようです。
6時の予報では、のち晴れでした。
昨日から、保安庁の船が停泊しています。





6月17日:第2報
田布施農業高校のボランティア組、雨の中大津先生の引率でやって来ました。
ペコッとさげての挨拶、良い感じです。
早速本職さんの手ほどきで、作業開始。ワイワイと真剣を繰り返しながら
だんだんと上手くなってきて、何とか終了しました。
最初赤土を使ったのですが、照満寺さんの希望でセメントと砂を混ぜて
塗りました。通りかかった人が立ち寄っては、ワイワイと楽しい雰囲気〜。
作業は思ってたよりかスムーズにいきました。
材料の土を工夫したら、練り塀の修復、案外簡単にやれそうでした。
何時でしたか、東京の花田さんから提案がありました
「練塀修復ボランティア」、やれそうです。
東の方の傷んだ練り塀、早く取り組めば保存が可能ですのでやりたいですね。






重村さんも飛び入りでコーチ?

大津先生、心配そう〜!


頑張りました、田布農高チーム




昨日の写真と見比べて下さい。

6月17日:あっという間もなく天候が変わりました。
今の時期だけ、玄関から朝日がさし込みます。目覚めてふと、廊下の方を見たら
真っ赤・・・。エ〜ッとビックリして飛び起きたらなんと朝の陽光。
寝間着のまま飛び出して屋上へ。
二、三分の間だったでしょうか、すぐ雲が覆いそして大粒の雨。
「まずいな・・・!」と思いましたが、やはり。厚い南雲が次々と流れだし
雨足も次第に強くなってきました。
おそらく南九州に沿って豊後水道を吹き込む湿舌風が運ぶ雨。
天気予報晴れでしたが、今日は雨の一日になりそうです。
こんなに、きれいな日の出だったのに・・・・










あっという間もなくにわかに雨が・・・・・

6月16日:第2報
穏やかな初夏の海、いわいが帰って来ました。遠く田浦では、中電の
仮桟橋設置工事が行なわれているようです。



明日17日、山口県立田布施農業高校の土木科の生徒達が来て
この練り塀(照満寺の西塀)の修復に取り組みます。
祝島の左官さんの指導を受けての作業となりますが、
サテ、上手く行きますかどうか?
この試みが成功すれば、東の練り塀街並保存に道が開けるのですが・・・。
雨が降りませんように〜!





6月16日:こちら、梅雨の中休み。
ニュース見れば東海・関東・北日本は降雨多し〜とか。
沖縄も大変ですね。災害起きねばよいですが・・・・。


午前5時14分


昨夕、釣終え帰港中、突如?として、ものすご〜い夕焼けが出現






6月15日:第2報
午後3時、雨が上がりました。
いつもでしたら、西風が吹きつけるのですが
それもなく静かに晴れて来ました。そして対岸は深い霧に包まれています。






6月15日:雨が窓ガラスを叩きます。
海面を風が走っています。遠くは雨でかすんで見通しが出来ません。
今日明日と、田浦の仮桟橋を設置予定と中電が発表しましたが、この天候
はたして工事してるのでしょうか・・・伺い知ることができません。






6月14日:薄雲が広がっています。
お天気下り坂・・・今夜あたりから、雨になりそうです。
それにしても、昨日の霧は濃いかったですね。


上、昨日・・・下、今朝


昨夕、鼻繰島はファンタジー・・・




灯台下の岩が赤く染まっていました




6月13日:すご〜い濃い霧がかかっています。
先日もかかりましたが、今日はダントツですね。
これから、私も出かけなければならないのですが、レーダーがついているので、機械に頼って走ります。
昨日は、原始生活?に没頭しました。夜はくたびれて、PC 立ち上げたまま
寝てました。








6月11日:寝過ごしてしまいました。
午前5時30分、港はもぬけの殻・・・。昨日は少しオーバーワーク?!
自治会の作業終えると、集会への参加者輸送に協力。
夕方から魚釣り。潮の関連で8時頃まで頑張ったので夕食が遅くなり
寝たのは11時半頃でした。
防波堤では、徹夜組の釣り人が朝日を浴びてきれいなシルエットを
見せていました









昨日の原水協などの原発建設阻止集会(田浦海岸)










6月10日:第2報
粗大ゴミを船に積み込むための準備作業をしました。
家庭から出るゴミ
沢山にありますね。こうして自治会の作業が年1回をめどに行なわれます。
集めたゴミを袋に格納して、明後日船積みして、今度はトラックに積み替えて
処理場まで運び処理されます。








6月10日:薄曇り・・です。晴れてくるのでしょうか。
これから、自治会の粗大ゴミの処理作業。終えたら田浦海岸での
原水協などとの原発反対集会へ参加の予定です。
昨日、昼さがり・・・三浦湾へ。
シトウズ海岸でクサフグの産卵。
上記タイトルでの掲載を夢見て出かけましたが、生憎西風強まり時折
大きな波が・・・。
家内は初見を期待してついて来ましたが、誠に残念・・・・!!
諦めて帰る途中、純白のテッポウユリが咲いていました。

大きな地滑りがあった・・・・かも

振り返るとこんな大岩が・・・・。

正面、こいよう(小祝島)



ビックリ・・・・!! ピント合わせていたら、飛び込んで来たのが
なんと、大スズメバチ。
ほんの1、2秒の間でした。あっという間もなく、何処かに飛んで行きました。


稲が、色濃くなっていました。


タイトゴメ


6月9日:湿った風が流れています。
船も疲れたのか、ほとんど動きそうもありません。
次第に、明るくなって来てるような感じです。パッと晴れて欲しいですね。
田浦は、霞んでいます。





6月8日:第2報山口県梅雨入り
昼前から降り出した雨・・・体が冷えました。
合羽姿にかわり、座り込みも大変だなと思っていましたら
上陸の要請があり、船から陸へ・・・。
大変な事態になっていました。体に鋼鉄ワイヤーを巻き付けている友人。
小舟もワイヤーが張れないようにぶら下がりしてました。
体力の消耗を気にしていましたら、今回の仮桟橋工事の一時中止決定。
昨日の怪我に続くこうした体を張った抵抗に、しばし工事中止やむなしと
なったようです。
攻防、一時停戦です。


























大雨の中を双方撤収、起重機台船も引き揚げました。



6月8日:昨日は更新しようとしたのですが、眠くて・・・・
とうとう寝てしまいました。
今日も、4時起きです。
日の出(5時15分頃)から作業開始ということで、祝島はもうみんな
動きだしています。
とりあえず、昨日の写真を掲載します。


このテントのしたで、頑張っています




足元まで、潮が満ちてきました



こんな夕焼けをバックに戦う人類・・・造詣の神に怒られる?!


6月6日:疲れました。うたた寝してました。
今朝、中電さんが田浦へ重機類を運び込むための仮桟橋を設置するとの
情報で、マルアジ釣中断して田浦湾へ・・・。
相変わらず力で押してきましたが、祝島はみんなの力を合わせ
とうとう今日の作業を中止させました。
今朝は7時から夕方5時まで。明日はまだ早そう〜










海に浸かって抗議しているのに、ちょっとお昼寝。


環境汚染。ちゃんとエンジン整備して下さい。


マスコミさんも大変ですね。


6月5日:陽ざしが強くなりました。
木陰に入るとほっとします。
連日の好天気。梅雨前線が南方海上に停滞すると穏やかな日が続きます。
こうなると、ビワは早くもぎ取らなくてはならないし、田圃は水の補給が大変。
文字通り、水無月となります。







6月4日:第3報
昨日3日、練り塀、棚田、ケグワ、こっこう等を案内して楽しい一日でしたこと
やはり?報告させて下さい。
実は行く先々で「オヤ、オヤ、はしべさん、きれいなお嬢さんと二人連れですか?」
と散々冷やかされました。その度、ニッコリ挨拶する彼女の健康な笑顔に、びわの差し入れがどっさり。
彼女は、高校の農業土木のキャリア。平さんの棚田の石垣にビックリ。
「スケールがビッグ!!」
「祝島、素敵!!」と祝島の大フアンになってしまったようです。
「近く男子生徒を引率します」といいながら、帰りの定期船に乗り込みました。
練り塀とこっこう茶・・・・と指折っていましたが、まさか石積みに挑戦?!






頼んでポーズとってもらいました・・・。







6月4日:第2報
久しぶり、島が沈みました。ご家族連れも多く、祝島を堪能して
下さったようです。







皆さんがビワに歓声揚げておられる時、私は蝶と・・・・・。








見送る、漁協女性部。




6月4日:ビワの収穫が始まっています。
今日は、団体さんがびわ狩りに大勢やって来ます。
三浦まで行きたいということで、案内たのまれましたので、今支度を終えました。
薄曇りの好天気。午後には三浦湾に賑やかな笑い声がこだますることと
思います。





6月3日:
61年前の三浦湾での戦い。
3300トンの油輸送船。長さ100メートルくらいだったとか。
豊後水道を下り出撃する戦艦大和の護衛駆逐艦に給油した後、帰港中にグラマン戦闘機と遭遇。当時の日本海軍にとっては軍艦に油を輸送する、残り少ない貴重な船。米軍にとっては、この船を叩けば日本の軍艦が何隻か燃料不足で動けなくなる。日米総力揚げた攻防だったと思います。側の護衛艦には目もくれず、輸送船に襲いかかったと目撃した人が語っています。通矢海岸の高い絶壁に守もられていた輸送船が三浦湾に何故か移動。入ったとたんに、小型爆弾が命中、炎上したといいます。総員退避の命令で海に飛び込んだ船員や兵に、容赦なく機銃掃射が行なわれたという。
この海戦。瀬戸内であったのはこれだけでは・・?おそらく沖縄を除いては、希な戦闘。隠された史実ではないでしょうか。
この船は、後日何処かへ曳航されてその後は不詳。

この海辺が血に染まった・・・・?!
ご冥福を、心からお祈りしました。

6月3日:みんな早々と帰ってきました。
明日は日曜日。魚市場がセリを休みますので、今日はマルアジの集荷を
しません。
こどもさんや知人などに魚送ろうと、あちらこちらで準備しています。
明日は日本各地に、祝島の活きのいい魚が届きますよ。









6月2日:反省
それは、7月の何日でしたか・・・・・?
最初にグラマン戦闘機が攻撃してきたのは・・・・・?
その場所は・・・・・
何処の島の影に入っては難を逃れたのですか・・・・?
そして、祝島に何時たどり着いたのですか・・・・?
何人怪我されたのですか・・・・?
亡くなられた人は何人だったのですか・・・・?
質問する度に、口ごもり申し訳なさそうにされたお顔が、今思い
起こされてきました。
「私は、一兵卒でしたから・・・・」
この言葉の持っている意味。今私たちは家の中、各部屋にカレンダーをかけ
テレビ、新聞、携帯、インターネットとあらゆる所から情報を得ながらの生活。
「何時、何処で・・・自分の生死をかけた時、場所が分からないなんて・・・・・」
一瞬思ったことを、猛烈に反省しています。
そして、戦争だったとはいえ、情け容赦無く空襲を受け、沢山の人が泣いた日本。その鬼畜とまでののしった相手と世界一の同盟国と言いながらも、自分達が苦しめた中国やアジアの民衆の抗議を、過去の事、的はずれと素知らぬ顔する日本。
電車の中で、思い切り足をふまれ、「アッ、失礼!」と言ってはくれたけど、また連れとワイワイ楽しそうにしていた人の横顔。踏みつけられた足の指がジンジン痛むのを我慢しながら、もう一度大丈夫ですか?と言ってくれてもよかろうにと思った、数年前の出来事思い浮かべています。
千百年昔、小さくも温かい出会いがあった神舞の三浦湾・・・・・・
あの静かな入江で、わずか61年前に、壮絶な戦いがあったとは
明日は、三浦湾に出かけ、不明を詫びたいと思います。




6月2日:薄曇り・・・時々陽ざしあり。
61年前を回顧される方が祝島を訪ねて来ました。
昭和20年7月25日、三浦湾で起こった痛ましい戦禍。
米軍のグラマン戦闘機に攻撃されながら、瀬戸内を逃げ回ってた油輸送船が
とうとう三浦湾で力尽き沈没したという。
その時、多数の死傷者が出た。祝島の人たち総出で救助にあたったが
見るに無惨な状態であったといわれている。
まだ戦時中で詳細は伏せられたまま。謎の部分の多いこの話。
なんと元高射砲兵で、九死にに一生を得たと言う人が、神奈川県から
亡き戦友の霊を弔いたいとわざわざ来られた。
戦闘機から落とされた爆弾が、高射砲の左側に落ちた。自分は右側にいたので気がついたら生きていた。それまでの三日間、米軍の執拗な攻撃をかわしながら、
島影を転々と移動したが、攻撃されるたびに、負傷する者続出した。腹を打たれた者は腸が飛び出し、股を貫通された者は、血が噴き出し息絶えた。
淡々と話しながら、グッと言葉に詰まり、じっと海をみつめては、又一呼吸。
「実は、記憶も入り交じり、無我夢中で何時何が有ったか正直分からない。各地から招集されていたので戦友との連絡も取れない。自分は一兵卒であったので、詳しい情報ももらえなかった。祝島に後かたづけで一週間くらい滞在して、広島まで遺骨を持って帰ったら8月4日であったという。。そして6日の原爆で被爆した。」
海に向かって静かに手を合わすお二人、そしてみさき旅館の女将さんも。
「戦友達が散った、あの祝島の海に行きたいと言う長年の願いが、やっと叶いました。私たちは、平和をもっと大切にしなければ・・・・」
そう言い残されて帰られました




この祝島三浦湾で、壮絶な戦いがあったとは・・・・










みさき旅館の女将さん。お父さんも戦死されたので
他人事とは思えなかったのでしょうか、親身に
お世話されて、三浦湾までご一緒しました。


6月1日:水無月が始まりました。
五月の日照時間不足の影響でしょうか、ビワの収穫が遅れています。
ボツボツやらねばと園芸農家。「熟れてくれない・・・・」ぼやいていました。
マルアジ漁に今日も出かけました。なかなか釣れませんね。
他の人も頑張ってるので、私も〜・・・・
でも、「腹が減っては戦にならぬ」と帰ってきました。






この花の名は・・・・?





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